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Dancing in the Rain

Life is not about waiting for the storm to pass but about learning how to dance in the Rain.

世界銀行で働く

 世銀の方の講演を拝聴したのでその備忘録。

 世界銀行とは、漫画に出てくるかのような取ってつけたような名前である。まあでもこればっかりは、英語名自体が World Bank"なのだから仕方がない。むしろシンプルでいいじゃないか。

 その名だたる国際機関のリクルーターだというのだから、まあ怖じ気づいてしまうのだけれど、遠目に見たらまあどこにでもいそうな、と言ったら失礼だけれど、ちょっと品があるかな、と感じさせるくらいの女性だ。物腰もそんなに強くない。帰国子女的な鼻につく感じもない。かといって、繊細な日本人という訳でもない。なんとも描写しづらいものだけれど。

 印象に残った話をいくつか。まず、日本人は圧倒的に英語が出来ない、ということ。もはやこれは陳腐に聞こえるほどになってしまったけれど、まあよっぽどそうなのだろう、未だによく聞く話だ。その点、英語力の指標となるのは何か、と質問された時に、特に必要ない、という答えが返ってきたのは興味深かった。「だって(世界銀行の職員は)誰も語学試験の何点がすごいのかなんて知らないもの」うーん、ここに何かヒントがある気がする。要は面接なり何なりでちゃんとコミュニケーションがとれればいいのだ。何のテストが何点とか、はっきりいってどうでもいいのである。(それでも僕は決してTOEICTOEFLが無駄だとは思わない。よくこれらを受けたこともない人間が、語学試験じゃ英語力なんて測れないとディスカレッジしていたりするけれど、そういうのは自分が受けてからいうべきだろう)この点について、もう一つ気になることをお話しされていた。それは、日本はタイとともに一度も植民地になったことがないということだ。これについてはまあポジティブな見方が一般だろうと思うけれど、そうではなくてここで指摘されていたのは、このことが現代では日本に不利な状況をもたらしているということだ。つまり旧植民地支配下にあった国々のトップ層は旧宗主国(例えば、アフリカとフランス、インドや東南アジアとイギリス、のような関係)のそれに近いものになるというのだ。なるほど彼らは欧米流の教育を経験し、自己主張が強く、英語能力に長けた人材になっているという。この点はなんだか意表を突かれるようで大変興味深く感じた。植民地支配の記憶は忌まわしき過去の残滓に過ぎないというわけでもなさそうである。その点、中国はどうか。うーん。これはまた別の要因が作用しているような気がする。

 国際機関における日本人の比率が少ないという話もよく聞く話だ。特に出資額に比してダントツに少ない。世界銀行も例外ではないようで、かなり積極的にアピールしておられた。「普通の就職先だと考えてください」でもこれはなかなか厳しい。「みなさんが想像されているほどすごい人たちの集まりではありません」これは納得できる。大学にいたって実感できることだ。

 お話を聞いていて、もう一つ感じたことがある。それは、日本人としての気概みたいなものだ。プレゼンターは終始、日本がある意味国際社会から構造的に軽視されていることに憤慨されている様子だった。(外務省的にはそうでもないようだけれど)これはよくわかる、日本人はもっとアサーティヴになるべきだ。でもこれは日本社会で生きていくにはうまく機能しない。そうすると国際機関で働く人間は必然的に2人の自分を内面に抱え込むことになる。自分も英語を話しているときと日本語を話しているときの人格が違うな、と感じることがある。これは高校のときの英語教師が言っていたことでもある。まあ不思議なことだけれど、これは英語という言語の持つ直接性とか明瞭性のためかもしれない。外国語学部だったら研究テーマにしてたかも。

 最後に感じたことは、これは直接講演に関することではないけれど、聴衆の外国人比率の多さだ。学内開催だが、日本人学生の方が明らかに少ないように感じた。(単に留学生ががやがやうるさかっただけかもしれないけれど)まあ関心がないだけなのか、どうかわからないけれど、なかなか現状を表しているようで面白かった。特に質問の部になるとチャイニーズが、日本語で講演されているにも関わらず、しかも日本人をリクルートしたいという講演内容だったにも関わらず、英語でガンガン質問していたのがとても印象に残った。日本人だったら引いてしまったかもしれない。彼らはチャイニーズというレーベルでそういう所作が出来るのだと思う。それはある意味で羨ましくもあった。自分も将来的には彼らを相手に渡り歩きたい。そう胸を熱くする瞬間でもあった。