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Dancing in the Rain

Life is not about waiting for the storm to pass but about learning how to dance in the Rain.

カジュラホでの一件①

 インド旅行記。カジュラホ携帯紛失事件の話。細部はよく記憶していないけれど、いろいろと印象的な事件だった。こういうのは今でもふとした瞬間に思い出すことがある。

 そもそもカジュラホとは、インドのマディヤ・プラデーシュ州にある小さな村だ。ここは(よく言えば)官能的なミトゥナ混交像のある寺院群で有名だ。というかそれしかない。しかしそれほどマイナーな場所ではなくて、むしろほどよく観光地化されている。といってもカンボジアシェムリアップほどではなくて、庶民の息づく素朴な田舎町だ。日本のガイドブックにも載っていて、宿のオーナーは日本語が堪能だった。世間でどれほど有名かは僕は知らないけれど、一応世界遺産に登録されている。

 デリーで散々な目にあった結果、偶然出会った日本人のSさんとすっかり意気投合して、ジャイプル、アグラと同行したけれど、この村に行くことで本来の一人旅に戻った形だ。正直、到着時もかなり緊張していた。予想通りしつこいドライバーを押し切って目的の宿についた後、休憩してひととおり観光。さあ、これからどうしようということで、レンタサイクルを借りることにした。店はいろいろあったのだけれど、結局、声をかけてきた若かりし頃のスティーヴィーワンダー風の兄ちゃんのを借りることにした。(実際、サングラスをかけていたように思う)まあ、今思えばこれがすべての発端である。

 借りたのはずいぶん頑丈そうなマウンテンバイクで、値段のことを考えると、これは壊したらマズいなと思ったのを覚えている。早速、近郊の遺跡めぐりに出発したわけだけれど、後ろから誰かついてくる。さっきの兄ちゃんである。案内してやるよ、というので、まあ暇だったのから、少し付き合うことにした。彼の名は、確かバクーといった。そしたら後ろから、取り巻きがついてきた。これはバイクに乗った二人組である。名前は、忘れた。片方の顔すら忘れた。しかし、彼らは日本語を少しだけ話した。アメリカのカードを持っているとか、どこが誰の土地だとか、日本のお笑い芸人を知ってるとか他愛のない話をした。まあそれになりに話は興味深くて退屈はしなかった。

 しばらくしてちょっと場所を移動して飲もうぜ、ということになった。まあ特に予定はなかったし、旅先の出会いというのも旅の醍醐味かなというのでついていくことにした。まあこれはデリーでの教訓が活かされていないわけで、人間というのは学習しないものだな、と後になって考えるわけだけれど、そうは言ってもまあそうなったんだからしょうがない。ちなみにこの後のコルカタでも同じようなことが起きる。後にも先にも、だ。

 バイクを三人乗りして、だだっ広い畑の中のあぜ道を進んでいくと、掘っ建て小屋というのも似つかわしくないサイトがあって(四方にバーがあるだけで屋根があったかどうかも怪しい)そこで話をすることにした。周りは何もなくて実にのどかな風景だった。この感覚は一人で山の中腹にいるときのものと似ている。あたりには誰もいなくて腰くらいの背丈の草が風にそよぐ音が聞こえるばかりだ。誰も自分がここに存在しているなんて気付いていなくて、それでいて世界は問題なく回っていて。皮肉なことだけれど、こういう時に僕は世界に存在しているのだということをひしひしと実感する。長くなりそうなので話を元に戻そう。(このフレーズはとても便利だ)

 遅れてきた一人が持ってきたのは瓶入りのジンだった。なかなか粋なものを持ってくる。やはり英植民地化の影響だろうか。それでまあお決まりののワンショットが始まった。一回の量は少ないけど、何回もやれば流石にきつい。基本的にお酒に弱い方ではないと自覚しているけれど、デリーで人生初めてぶっつぶれたので(この話はかなり込み入ったものなので機会があれば後述)、ちょっと身構えてみる。話はさらに盛り上がって、結構深いところまで入っていた。

 インド人はなんだかよくわからないけれど、それぞれが独特の哲学を持っている。別の言葉で言うと、宗教的熱情、と言ってもいいかもしれない。といってもそれはムスリムのそれとは少し様子が違っている気もするが。流石にそれは仏教の生まれた国なだけあるのか、伝統というのか、DNAなのかもしれない。真理とか愛とか、普段から持論を展開できる日本人がいくらいるだろうか。いたとしても、それを話してフンと鼻で笑われるか、気持ち悪るがられるのがオチだ。多分だけど、僕たちは思考停止に陥っている。そう強く感じた。また脱線した。

 具体的にどんな話をしたか、というのは正直よく覚えていないのだけれど、まあ概略としてはこんな感じだった。三人のうちの一人には、かつて日本人の彼女がいた。彼女は世界を旅しているかなんかで、それでこの村を訪れて彼と恋に落ちた。しばらく彼ら愛に満ちた幸せな日々を過ごしたけれど、彼女は帰国しないといけないという話になった。もちろんそれは辛いことだけれど、仕方がない。彼女はまた戻ってくるといってその村を去った。そして確かに彼女は戻って来た。短い期間だけれど、それは一回に止まらず、何度も再開し、彼は束の間の幸せを手にすることができた。時が来れば日本でも暮らしたい、とも考えていた。でもそれは叶わぬ夢となった。やがて彼女とは連絡が取れなくなった。彼を捨てたのかもしれない。あるいは何か事情があったのかもしれない。しばらくして彼の悪い噂を日本人宿のオーナーが流したのだという話が聞こえてきた。それは彼にとっては解せないことであったけれど、それでも彼は諦めなかった。彼はまだ彼女を待っているらしかった。

 「本当の愛って知っているか?」と彼は言った。またお得意の下ネタかと思ったけれど(インド人は本当にこの手の話が好きだ)「まだ人を本気で愛したことがないからわからない」と僕は言った。でもその答えは思っていたものとは違った。「本当の愛っていうのは、その人のためならすべてを捧げることができるってことだ。自分のすべてを犠牲にできる、ということだぜ」と彼は真剣に言った。なるほどそんなものか、と僕は思った。この言葉は、結構な重みを持って僕の人生において後々頭をもたげてくることになる。けれどそれはまた別の話。

 一人が何か見慣れないものを持っていた。マリファナだった。初めて見たけれど、それは簡易なタバコのようだった。当然、お前も一本どうだ、という話しになったけれど、「ダメ、ゼッタイ」という言葉が脳裏によぎるのは、刷り込み教育が功を奏しているようだった。インドでのマリファナの話は聞いていたし、実際オランダとかでは合法だからそんなに動じることはなかったのだけれど、流石に目の前でやられるとなんとも言えない気分だった。今から思えば一本くらいに記念にやっておけばよかったかもしれないな、と冗談めかして言えるのも今無事に帰国できたからだろう。

 とまあ事件はこれからだけれど、今回はこれぐらいにして、また気が向けば続きを書こうと思う。何かを思い出しながら書くという作業は結構な時間と労力を費やすものだ。

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