Dancing in the Rain

Life is not about waiting for the storm to pass but about learning how to dance in the Rain.

(33)人民の自決権①

Ⅰ.自決権の意義

 ◯自決の原則(the principle of self-determination )
 人民(peoples)ないし民族(nation)は他者の干渉を受けることなく、みずからその政治的地位を決定し、かつ、みずからの経済的・社会的・文化的体制を追及することが出来る、とする原則。
 ◯自決権
 「その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追及する」人民の権利(国際人権規約共通1条)

Ⅱ.自決権概念の歴史的変遷

 自決の原則は、近代革命期の人民主権の思想や19世紀に台頭したナショナリズム民族主義原理)に思想的な背景を持ち、20世紀初頭には米大統領ウィルソンやソ連のレーニンによって政治的原則として標榜された。第二次世界大戦後、自決権は国際社会の実行を通して、非植民地化の過程で一般国際法上の法的権利として確立した。一方、冷戦後の国際社会においては、言語・宗教・民族に基づく地域紛争が激化し、そうした状況の下、自決権は既存国家からの分離独立を要求する根拠として唱えられることとなった。すなわち、自決権は当初植民地人民の外的自決の権利として確立した後、独立国家を構成する人民にも適用されるものであり、また、自らを代表する政府を有する人民の権利(内的自決)をも意味すると主張されるようになった。

  以下では、政治的原則から法的権利への自決権概念の歴史的変遷とその限界を、国連及び国際司法裁判所の実行を下に検討する。

(1)非植民地化の過程での法的権利としての確立

 国連憲章国連の目的の一つとして「人民の同権及び自決の原則」の尊重を掲げると同時に、信託統治制度と非自治地域の発展を促す特別の規定を設けた。しかし、この時点では、人民の自決権が法的権利として承認されたわけではなかった。その後、1960年の国連総会の植民地独立付与宣言(決議2565)は、すべての人民の「自決の権利」を認めつつ、あらゆる形態の植民地主義の早期かつ無条件の終結を訴えた。このような自決権は、友好関係原則宣言(1970年)、CSCEのヘルシンキ最終議定書(1975年)、人権に関するウィーン宣言及び行動計画(1993年)等の国際文書によって繰り返し確認されるだけでなく、1966年の国際人権規約共通第1条において法的に承認されることとなった。
 国際司法裁判所も、ナミビア事件(1971年)や西サハラ事件(1975年)の勧告的意見で、明示的ではないものの自決権の法的権利性を認め、また東ティモール事件(1995年)では、この自決権が「対世的権利」(right erga omnes)あることを認めた。こうして、今日では自決権が人民の有する実定法上の権利として承認されると同時に、さらにこれを強行規範(ユス・コーゲンス)とする立場も有力になっている。

 ◯植民地独立付与宣言(国連総会決議1514) 1960年
 「すべての人民は自決の権利を有し、この権利によってその政治的地位を自由に決定し、その経済的、社会的及び文化的発展を自由に追及する」(第2項)
 「外国による人民の征服、支配及び搾取」は基本的人権と憲章規定の違反を構成するものであり、これら「従属下の人民」は速やかにかつ無条件に「完全な独立」を達成すべきである。
 ◯国際人権規約 1966年
 「すべての人民は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民は、その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的・社会的及び文化的発展を自由に追及する」(共通1条1項)
 ◯友好関係原則宣言(総会決議2625) 1970年
 「すべての人民は、外部からの介入なしにその政治的地位を自由に決定し、その経済的・社会的及び文化的発展を自由に追及する権利を有し、すべての国は、国連憲章に基づいてこの権利を尊重する義務を負う」
 ◯ヘルシンキ最終議定書(全欧安全保障協力会議) 1975年
 「人民の同権と自決の原則により、すべての人民は、常に、外部の干渉を受けることなく、完全に自由にその欲するときまたは欲するようにその国内的及び対外的な政治的地位を決定し、かつその政治的、経済的、社会的及び文化的な発展をその望むように追求する権利を有する」(第8原則)

 

(2)自決権行使の限界ー領土保全原則ー

 以上の経緯のように国際法上の自決権は、非植民地化の文脈において発展し、何よりもまず植民地人民の分離独立の達成(外的自決)の権利として確立した。この背景には第二次世界大戦後の植民地支配を違法とする国際法の転換がある。上述の国連憲章や植民地独立付与宣言などの諸文書は自決権の普遍的性格を否定したわけではないが、当時の状況においてその適用が最も重要なのは植民地・従属国の人民であるということについて諸国の見解は完全に一致していた。

 このように植民地人民の独立が自決権行使の一形態として認められた一方、それを制約する原理として領土保全原則(国連憲章2条4項)が繰り返して確認されてきた。たとえば、植民地独立付与宣言は、「国の国民的統一及び領土保全の一部又は全部の破壊を目指すいかなる企図も、国際連合の目的及び原則と両立しない」と規定し、友好関係宣言は「(宣言自決権規定の)各項のいずれも、上に規定された人民の同権と自決の原則に従って行動し、それゆえ人権、信条又は皮膚の色による差別なくその領域に属するすべての人民を代表する政府を有する主権独立国家の領土保全又は政治的統一を全部又は一部分割し若しくは毀損するいかなる行動をも、承認し又は奨励するものと解釈されてはならない」と述べる。また、国際人権規約共通第1条は「すべての人民は自決の権利を有する」と規定するものの、その行使は独立国家の領土保全を損なう形では行いえないものと解釈されてきた。(人権規約委員会一般的意見12)

 これに関連して植民地独立の際に厳格に適用された原則としてウティ・ポシデティス(uti possidetis)の原則(現状承認原則)がある。同原則は植民地時代に確立した行政区画を独立時に国境線に高めることを内容としており、元来は19世紀にラ米諸国で地域的に適用された原則であるが、その後1963年にはAOU憲章でアフリカに、1986年の国際司法裁判所ブルキナファソ・マリの国境紛争において、植民地一般に適用可能とされた。これはつまり植民地時代に分割された領域現状を尊重して受け入れるということであり、これに反する分離独立の要求は拒絶された。このように法的権利としての自決権はその行使の際に領域的制限を受けることになり、それはすなわち独立国家内の少数者は「人民」に含まれないことを意味していた。

 

 

hiro-autmn.hatenablog.com