Dancing in the Rain

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Life is not about waiting for the storm to pass but about learning how to dance in the Rain.

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人生と選択について

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「人生は選択肢の数で決まる」と以前友人に言ったら、それは恵まれているからいえるんだよ、とか、じゃあ途上国の子供たちの人生を否定するのか、みたいなことを言われた。これには当時うーんと唸らされたものだけれど、僕のこの考え方は基本的には今も同じだ。ただ、少しずつ変わってきてはいる。

そもそもこの命題の立て方自体が曖昧だったと思う。例えばこれを「人生の豊かさは選択肢の数で決まる」としてみたら、これには素直に肯定することは出来ない。まあ豊かさは相対的だし、当然だと言える。インドやカンボジアで見た人々は確かに貧しかったけれど、日本人よりも幸せそうに見えた。もちろん、これは闖入者的視点だから、傲慢かもしれないけれど、少なくとも日本でたまに見かける死んだような魚のような目はしていなかった。

対して「人生は選択で決まる」というのは、Amazonジェフ・ベゾスが "In the end, we are our choices" と言ったように、ある意味で正しいように思う。人生というのは自己の選択の集積なのだ。ただもう少し注意深く見てみると、あることに気がつく。それは、選択肢を増やすという作業と選択=決断は全くもって別物だということだ。

人生は選択ないし決断の連続であるとしても、その前提として選ぶべき対象が必要になってくる。自分が出来ることというのはその選択肢を増やすことにあるのだろう。そこにはおそらく本人の能力なり資質なりが少なくとも関わってくる。誰でも彼でも選択肢を無尽蔵に生み出すことは出来ない。自ずと限界が見えてくる。次に、たとえ選択肢の数が多くても、そこから選り分けて選択できなければ意味がない。そこでは決断の指針なり、基準なり、優先順位なり必要になってくる。それはどこから打ち立てるのだろう。人生経験だろうか?誰かからのアドバイス?あるいは価値観?はたまた直感?

僕の苦悩はそこにあった。確かに僕は選択肢の幅を拡げるだけ拡げた。その点、恵まれていたと言える。でも、いったいその中からどのカードを引けばいいのか。手持ちが増えれば増えるほど、そのそれぞれに目移りがする。人の意見や評判も気になる。毎日のように思いが変わる。どれかを選んでも後から選ばなかった選択肢について後悔しているかもしれない。経済学的には機会費用とか言うものを計算すればいいみたいだけど、そんなの気休めに過ぎない。占いと一緒だ。でも無駄ではないかもしれない。いざ決断した後の動機付けにはなる。こういうのは当たるも八卦、当たらぬも八卦的なスタンスだから、逆に自分を納得させるために都合良く機能する。

話をもとに戻すと、結局のところ、どの選択肢がいいのかというのは実際に経験してみないとわからないのだと思う。その点、今の自分に出来ることといえば、出来るだけその幅を絞り込むことと自分の未来の可能性を信じることだろう。可能性を信じる、とは夢を見ることだ。そうだとすれば、選択肢が多くても少なくても同じような気がする。始めから選択肢を絞っていると他のことで悩まされなくていいから、むしろ気が楽かもしれない。一つの道に突き進むことは古今東西問わずカッコイイことだ。

このテーマは、日頃からよく考えていることだけれど、はっきりいって病んでくる。あんまり深く考えないのが精神衛生上よろしい。でも気になってしまうんだなあ。

選択といえば、頭に浮かぶのは合理選択制度論とか堅苦しい学説(決して支持者ではない)だけど、もうちょっと身近な話で思い出したことを。

ラオスヴィエンチャンのカフェにいたときのことだ。(ヴィエンチャンはインフラは差し置いてカフェだけは充実している都市である)たまたま旅行中だったブリティッシュの元ビジネスマンと話していると、今まで何カ国くらい訪れたかという話題になった。で、確か彼は50カ国くらい挙げていたように思う。これはすごいと思って、いったいどこにそんな時間とお金があるのか、と聞いた。彼は一見30代である。それなりのお金はあるだろうけれど、仕事と両立するだけの時間があるのだろうか。「旅行に行くために仕事をやめて、家にあるものを片っ端から売ったんだよ」と彼は特に惜しげもなくそう言った。でも付け加えて、「お気に入りのゴルフバッグも売っちまったんだぜ」と残念そうに(あるいはそう聞こえるように)言った。なぜかその言葉は日本語で脳内変換されて今でも僕の頭の片隅にこべりついている。彼の選択は今後どのような未来を彼にもたらすのだろうか。そこに迷いや不安はなかったのだろうか。それにしても彼の言動から伺える余裕さみたいなものは何なのだろうか。

世の中いろんな重大な選択があるだろうけれど、僕はこの彼の選択をとても印象的に記憶している。それは決して一世一代の決断、というわけではないかもしれないけれど、それでも僕にはなんだか新鮮に思った。それ以来、僕は選択という段になると彼を、そして、彼の決断の為に売られていったゴルフバッグの末路を想起してしまうことになる。

つらつらと書いたけれど、今日僕はけっこう重大な決断をした。

この記事はその記念。