国際法判例シリーズ。この記事では、ICJ判決のノッテボーム事件についてまとめています。
【事件名】ノッテボーム事件(Nottebohm Case)
【判決日】国際司法裁判所(ICJ)管轄権判決:1953年11月18日、本案判決:1955年4月6日
事実と経緯
- 1905年、ドイツ人ノッテボーム氏は中米のグアテマラに渡り、同国に生活の根拠を置いて商業・金融業を開始。
- 同氏は、第二次世界大戦の直前にドイツに渡り、対戦開始直後の1939年10月9日にリヒテンシュタインに帰化申請。(ただし本件紛争開始の43年まではグアテマラに居住)帰化条件の1つに3年間居住することが課せられていたが、同氏は帰化税と共同体加入金を支払って特例により条件を免除。
- 同月13日に帰化の許可後、リヒテンシュタインの旅券及びグアテマラの査証を受けて、グアテマラに入国し、事業を再開。後に同氏の国籍変更は、グアテマラの外国人登録簿に記載された。
- ドイツと交戦関係にあったグアテマラは1943年に敵国人として同氏を逮捕して米国に移送、同国にて拘留。抑留中に彼の財産の没収に関する訴訟がグアテマラで開始。
- 1946年、同氏は解放されるが、グアテマラ入国を拒否され、リヒテンシュタインに渡航。
- 1949年、グアテマラは戦争によって生じた事項の清算に関する法律を制定して、同氏の全財産を没収。
- 1951年12月17日、リヒテンシュタインは同氏の要請により、同氏の全財産返還と損害賠償を求めて国際司法裁判所(ICJ)に提訴。(国家責任の追及)
- 1953年、ICJはグアテマラによる先決的抗弁を却下し、本事件に関する管轄権を認定。
- 1955年、ICJは本案について判決し、11対3をもってリヒテンシュタインに外交的保護権がないと判示。
判決要旨
管轄権判決
争点:グアテマラの選択条項受諾宣言(ICJ規程36条)の期限は5カ年であり、同宣言は1952年1月26日をもって失効した。よって、その時点から裁判管轄権を決定する権限がICJにはないのではないか。(選択条項受諾宣言の失効と裁判の継続の問題)
本案判決
リヒテンシュタインの主張
グアテマラの主張
(1)グアテマラによるリヒテンシュタイン国籍取得に対する「承認」の有無
(2)リヒテンシュタインによる国籍付与のグアテマラに対する援用可能性
争点:国籍を付与したことで、同国の外交的保護権行使を承認しなければならないのか。
(3)ノッテボームとリヒテンシュタイン間の「真正な結合」
帰化申請時ドイツ国民であり、家族もドイツに居住し、かつ家族と事実上の関係が存在。グアテマラに34年間定住し、帰化の後も、43年に戦時措置により退去するまで利害関係を有していた。リヒテンシュタインには、帰化申請時には住所もなく、長期滞在もしていない。定住する意思も不存在。46年にはリヒテンシュタインへと赴いたが、それはグアテマラに入国拒否されたからである。リヒテンシュタインとの間に認められる唯一の関係は、先の一時滞在と兄弟が一人居住しているだけである。
- 以上の事実から、ノッテボーム氏とリヒテンシュタインの間にはいかなる帰属のきずなも存在しない。
- 他方でグアテマラとの関係においては長期に渡る密接な結合関係が存在、帰化後においても同様である。
- この帰化は、国際関係において一般にとられている国籍概念を顧慮することなく国籍を付与するものであり、真正さにかけている。
- この帰化は、リヒテンシュタイン国民の一員としての法的承認を受けるというよりも、中立国国民としての地位を得て、リヒテンシュタインの保護を受けるために申請されたのである。
- 従って、リヒテンシュタインはグアテマラに対してノッテボームを保護する資格を有さず、その請求は、以上の理由により受理できない。
論点
- 「真正な結合」理論は、本来二重国籍から生じる紛争に適用されるものであって、その判断基準を今回のケースに援用したのは不当ではないか。
- 国籍付与の国内的効果と国際的効果に分離して外交的保護権の問題を検討するという手法を採用しているが、リヒテンシュタイン国籍がグアテマラに対抗できないとすると、ドイツ国籍を喪失したノッテボームは無国籍者と同様の地位に立ち、どの国からも外交的保護を受けることができないことになる。
- 「真正な結合」理論を厳格に適用すると、今日の経済のグローバル化や移民の増加の現状では弊害が大きい。
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