国際法判例シリーズ。この記事では、パレスチナの壁事件のICJ勧告的意見についてまとめています。
パレスチナの壁事件(Palestinian Wall Opinion)
諮問機関:国連総会
国際司法裁判所(ICJ)勧告的意見:2004年7月9日
事実と経過
第二次世界大戦後、国連は、国連総会決議181により、アラブとユダヤの間での領域分割計画の採択と履行、並びにエルサレム市の特別国際制度の創設を勧告。
パレスチナ・アラブはこの計画を均衡を欠くとして拒否、他方、ユダヤ人国家イスラエルは1948年5月14日に独立を宣言。
このことから両国間に武力紛争(第一次中東戦争)が勃発し、分割協定は履行されず。
その後、国連の仲介で締結されたイスラエル・ヨルダン協定で休戦境界線が定められたが、1967年の武力紛争(第三次中東戦争)でイスラエル軍はかつての英統治領下のパレスチナ全地域(境界線東の西岸地区 West Bankも含む)を占領下に置いた。
安保理決議242は、戦争による領域取得を許容せず、占領地域からのイスラエル軍の撤退を要求。
1994年10月26日、イスラエル・ヨルダン平和条約は、67年にイスラエル軍政下に入った地域について示された線を「行政的境界」であるとし、イスラエル軍当局と文民行政がパレスチナ占領地域で行使してきた若干の権限と責任をパレスチナ当局に移管することが定められた。
しかし、その後発生した諸事件の結果、パレスチナ当局に移された権限は部分的かつ限定されたものにとどまった。
イスラエルは、占領地域に分離壁(mur/wall)を構築(イスラエルは「フェンス」と呼称)。ここでいう壁は、センサー付きフェンス、溝、パトロール道路や追跡道路、有刺鉄線から構成される幅50−70メートルの複合構造物を指した。
2002年、イスラエル政府は西岸の3地区に「安全フェンス」の構築を決定、後続フェンスを延長して構築し、完成しまた構築中の壁は当初の境界線から大きく逸れて大部分はパレスチナ占領地域内に存在。
2003年、イスラエル国防軍は壁と境界線との間にある西岸の部分を「閉鎖地区」とする命令を発出。当該区域の住民はそこにとどまれず、許可なしに進入不可能となった。
2003年12月8日、国連総会は、緊急特別総会決議ES-10/14において、東エルサレム内とその周辺を含むパレスチナ占領地域においてイスラエルにより建設されている壁の構築は1949年のジュネーブ第4条約(文民条約)を含む国際法の規則と原則並びに国連安保理決議および総会決議を考慮して、いかなる法的効果を生ずるか、という問題について勧告的意見を緊急に与えるようICJに要請。
意見要旨
管轄権
- 請求の主題は国連憲章上総会の権限に属する。また、明確性の欠如の問題はない。「政治的」であっても管轄権は認められる。
- 請求の主題は、イスラエル・パレスチナ間の二国間問題のみではなく、直接国連の関心事項であり適切。
- 裁判所の意見が交渉に与える影響は明らかでなく、裁量権を行使しない必然的理由はない。
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よって、裁判所の管轄権は認められる。
適用法規
戦時に適用される国際人道法(ハーグ陸戦規則、文民条約)がパレスチナ占領地域において適用されるか、あるいは国際人権法が平時から引き続いて適用されるのか、両者の適用関係が問題となる。
(1)イスラエルの主張
- 文民条約は、パレスチナ占領地域については適用されない。ヨルダンは1967年文民条約締約国であったが、占領地域はそれ以前に同国の主権下になかった。
- 武力紛争時には国際人道法(International Humanitarian Law, IHL)が適用され、国際人権法(International Human Rights Law, IHRL)は適用し得ない。
- 人権は平時に自国民を保護するためのものであるから、占領地域に国際人権規約と児童の権利条約は適用されない。
(2)裁判所の判示
- ハーグ陸戦規則に反映された国際慣習法によれば、パレスチナは「占領地域」である。
- 文民条約2条によれば、武力紛争の存在と締約国間の紛争が発生すれば同条約は適用される。そして同条の目的や準備作業から判断して、戦闘のない占領地域にも適用が可能である。
- 人権条約はデロゲーション条項による場合を除いて武力紛争時にも停止しない。裁判所は、国際人権法と特別法(lex specialis)たる国際人道法を考慮する。
壁構築の違法性
(1)人民の自決権
- イスラエル・パレスチナ暫定協定から、「パレスチナ人民」の存在は疑い得ない。
- イスラエルは文民条約46条第6項の追放・移送の禁止に反して入植政策を推進してきた。
- 壁構築は恒久的で既成事実化し、パレスチナ人民の自決権(right of self-determination)行使を著しく妨げ、この権利に対するイスラエルの義務違反を構成する。
(2)国際人道法の違反
- ハーグ陸戦規則については、占領地域に適用される第3款、文民条約については6条3項が言及する占領継続中に拘束力をもつ条文のみ適用可能。
- 壁構築は、ハーグ陸戦規則46条(私権の尊重)と52条(徴発と課役)に反して、財産の破壊と徴発をもたらした。また閉鎖区域の設定等は居住者の移動の自由を実質的に制限するものである。
- また、この壁構築は人口統計的変化をもたらし、文民条約49条第6項(文民の追放・移送)や安保理決議に違反する。
(3)人権条約の違反
- 自由権規約は、イスラエルが主張するデロゲーション条項を除いて適用される。
- 自由権規約17条第1項(私生活・名誉・信用の尊重)、12条第1項(移動・居住・出国)の保障に加えて、聖地へのアクセスは特別の保障が考慮されねばならない。
- 壁構築は、自由権条約12条第1項に違反し、社会権規約と児童の権利条約に宣言された労働、教育および適切な生活水準の権利を妨げている。
違反の正当化事由
(1)人権条約および人道法における権利制約規定
文民条約における49条②、53条における軍事的必要性の例外や、自由権規約12条3項の公の秩序のための人権制約や社会権規約4条の公共の福祉による制限は、いずれもその要件を満たさず、正当化されえない。
(2)自衛権の行使
イスラエルは、壁構築が国連憲章51条の自衛権と合致し、テロ攻撃に対する自衛の武力行使の権利を認めた安保理決議1368および1373と合致する、と主張した。これに対して裁判所は以下のように判示した。
- 憲章第51条は国家による武力攻撃の場合の自衛を定めている。(=非国家主体に対する自衛権行使はできない)
- 壁構築を正当化する脅威は占領地域で始まっており、これは両決議の想定するところではない。
- なお、違法性阻却として、壁構築は唯一の手段であるとは言えないため緊急避難(国家責任条文25条)を援用することはできない。
国際義務違反の法的効果
(1)対イスラエル
- パレスチナ人民の自決権を尊重する義務、国際人道法と人権法上の義務履行、聖地へのアクセス保障する義務。
- 壁構築から生じる国際義務違反を終了する義務(建設中の壁構築作業の即時停止、立法および規則制定行為の無効化、関係するすべての自然人・法人に対する賠償、原状回復・補償。
(2)対他の諸国および国連
- パレスチナ人民の自決権と国際人道法の諸規則は、対世的義務(erga omnes)であるから、すべての国が壁構築から生じる違法な状態を承認しない義務、かかる事態の維持のために援助を与えない義務を負う。
- 文民条約の締約国は、国際人道法のイスラエルによる履行を確保する義務を負う。
- 国連特に総会と安保理は、この違法事態を終了させるためにいかなる行動が要請されるか検討しなければならない 。