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【国際法判例】リギタン島・シパダン島に対する主権事件(ICJ判決)

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国際法判例シリーズ。この記事では、リギタン島シパダン島に対する主権事件のICJ判決についてまとめています。

【事件名】リギタン島シパダン島に対する主権事件

【当事国】インドネシア v. マレーシア 

【判決日】国際司法裁判所(ICJ)判決:2002年12月17日

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事実と経過

  • マレーシアは、無人島だったボルネオ島北東のリギタン島シパダン島に観光施設を建設し、自国領として主張。
  • インドネシアは、英蘭条約(1891年)4条を根拠に領有権を主張。同条によると、ボルネオ島内の蘭領と英保護領の境界線は、東岸北緯4度10分の地点からスバチク島を横切り同緯度に沿って東方に続くものとされたが、インドネシアは、当該境界線がスバチク島東岸にとどまらず、さらに東方の2島まで続き、同緯度より南の2島はボルネオ島の付属として自国に帰属するとした。
  • マレーシアは、2島に対する主権は、スル王からスペイン、アメリカ、イギリス、自国へと承継されてきたと主張。また選択的に、もし2島がオランダ領であったとされた場合でも実効的支配によって権原が自国に移ったとした。また英蘭条約4条の「スバチク島を横切りacross」とは、同島西岸から東岸で終わるという意味であり、その東方にある2島は含まれないとした。
  • 両国は国際司法裁判所(ICJ)の管轄権を受諾していなかったため、2島の主権の所在を裁判所に付託する協定を1996年に締結。

判決要旨

  • マレーシアよるリギタン島及びシパダン島に対する領有意思は相当期間に渡って示されており、したがって実効的支配を根拠に2島に対する主権はマレーシアに帰属する。

1891年の英蘭条約4条の解釈

  • 条約法条約第31条及び第32条は国際慣習法を反映。よって条約法条約の当事者でないインドネシアにも適用可能。
  • 同条約第4条の「横切りacross」という文言からは、境界線がスバチク島東岸で終わるのか、そこから東方まで続くとも明らかでない。曖昧ないでない規定も可能であったのにそうしていないのはマレーシアに有利である。よって条文(text)の解釈では決定できない。
  • 同法批准のためにオランダ議会に提出された法案付属の地図は、2島について触れていない。また、英国に伝達されておらず、反応もなかったため黙認されたとも言えない。よって同地図は条約法条約31条2項の関係合意でも関係文書でもない。
  • 条約の「趣旨及び目的(object and purpose)」について、同条約の前文は「ボルネオ島内(in)」という文言から同島より東方についてまで定める目的を持つものではない。
  • したがって、英蘭条約4条は2島に対する主権を確定する領土分割線を定めたものではない。

マレーシアの権原承継

  • 1878年にスル王からスペインに譲渡した島に2島の名前はない。
  • 1900年米西条約で、スペインがアメリカに譲渡した島にも2島の名前はない。
  • 1930年英米条約で、アメリカは2島への主権を主張しておらず、それがイギリスに譲渡されたとは明言できない。
  • したがって、イギリスから独立したマレーシアによる権原承継の主張は認められない。

実効的支配(effectivites) の問題

(1)考慮すべき要素
  • 実効的支配に基づく主権の主張は、主権者として行動する意図と意思(intention and will)及び主権の行使(actual ecsercise)が必要である。
  • 人口の希薄な地域(thinly populated or unsettled countries)については、他国が優越する主権を主張していない限り主権の行使はわずかで良い(PCIJ 東部グリーンランド事件判決)
  • 決定的期日(両国が権利を主張し始めた1969年)以前の行為が考察されるが、それ以降の行為であっても、以前から続く行為であり、自己の法的立場(legal position)を有利にするため取られたものでない行為は考察される。
  • 考察される行為が一般的性格の立法的・行政的行為の場合、その文言や趣旨から2島が特定される場合は、実効的支配を構成する行為といえる。
(2)具体的検討
  • オランダ=インドネシア海軍による偵察及び漁民の活動は、2島がその主権下にあるとみなしていたとを証明しない。
  • 群島基線を定めた1960年のインドネシア法は2島に触れていない。
  • 米国が1930年条約で諸島を放棄したとき、どの国も主権を主張せず、北ボルネオ=イギリスの管理に抗議しなかった。
  • 北ボルネオは、1917年ウミガメ保護令によりシパダン島等でのウミガメ捕獲と卵の採取を許可制にし、1954年の許可の対象には2島が含まれていた。
  • 北ボルネオによる、1933年の土地令の鳥類保護区の対象にシパダン島が含まれていた。
  • マレーシアが2島に灯台を建設した際(1960年代初頭)、インドネシアはその土地が自国領であると指摘しなかった。(ただし、通常は灯台建設は主権の行使とはみなされない cf.カタールバーレーン事件判決)
  • したがって、マレーシア=イギリスによる立法的・行政的、準司法的行為(legislative, administrative and quasi-judicial acts)は相当期間( a considerable period of time)継続し、かつ、2島に主権を行使する意思が明確に示されている。よって、実効的支配を根拠に2島に対する主権はマレーシアに帰属する。

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