国際法判例シリーズ。この記事では、いわゆるアイヒマン事件についてまとめています。
【事件名】アイヒマン裁判
【当事者】Attorney General of Israel v. Adolf Eichmann
事実と経過
- ナチスドイツの親衛隊中佐であったアドルフ・アイヒマンは、ゲシュタポのユダヤ人移送局長官として、「ユダヤ人問題」の最終解決(ホロコースト)において主導的役割を果たした。
- 第二次世界大戦後、アイヒマンはアルゼンチンに身を潜めていたが、1960年5月11日、イスラエル諜報機関モサドによりブエノスアイレスからへイスラエルへと連行。これに対して、アルゼンチン政府は、イスラエルによる同国の主権の侵害であると主張。イスラエルに対する責任追求とアイヒマンの帰国及び責任者の処罰を要求した。
- 両国間の外交交渉は難航したため、アルゼンチンはこの問題を国連安保理に付託。同年6月23日の安保理決議138は、イスラエル政府に対して、当該行為がアルゼンチンの主権を侵害するものであると認定し、国連憲章及び国際法に従った適切な事後救済を行うよう求めた。8月3日、両国政府は同決議を受け入れる共同声明を発表し、イスラエルは自国の行為によりアルゼンチンの主権を侵害したことを認めた。
UNSCR 138 (1960)
1. Declares that acts such as that under consideration, which affect the sovereignty of a Member State and therefore cause international friction, may, if repeated, endanger international peace and security;
2. Requests the Government of Israel to make appropriate reparation in accordance with the Charter of the United Nations and the rules of international law;
3. Expresses the hope that the traditionally friendly relations between Argentina and Israel will be advanced.
- 1961年4月11日、エルサレム地方裁判所において、アイヒマンに対する裁判が開始。アイヒマンは、1950年のイスラエル国内法である「ナチス及びナチス協力者(処罰)法」に基づき訴追。同法は、「ユダヤ人に対する罪」、人道に対する罪、戦争犯罪について、死刑を含む刑罰を規定していた。
- アイヒマン側の弁護人は、以下の諸点を根拠として同裁判所の管轄権について争った。
- 事後法である同法に基づいてイスラエル建国以前の行為を処罰することはできない。
- 刑事裁判権の行使は、犯罪発生地国または犯罪者の国籍国に限られる。
- 当該行為は個人ではなく国家に帰属する行為であり司法審査は及ばない。
- 当該行為は、上官の命令に従ったものであるため責任を負わない。
- 国際法に反して逮捕・訴追に至った場合、裁判所は管轄権を行使できない。
判決要旨
(1) 法の不遡及:罪刑法定主義の原則は国際慣習法となっているとは認められない。同原則は多くの国の憲法によって規定されているが、普遍的に受け入れられているわけではない。
(2)領域主権の問題:国家は、刑事裁判の管轄権行使を禁じる明確な国際法がある場合にのみ管轄権行使が禁じられる。被告人の罪は個人の国際犯罪であり、その普遍的な性格により全ての国家がこれを処罰する権限を有する。
(3)国家行為の理論:同抗弁は、人道に対する罪のように国際法によって禁止されている行為には適用されない。ジェノサイド条約第4条においても同抗弁は否認されている。
(4)上官命令の抗弁:同抗弁を認める確立した国際法は存在しない。ニュルンベルク憲章第8条ではこれを否定している。また、被告人は命令に従わないことにより生命に差し迫った危険があったとはいえず、むしろ自ら進んで任務を行っていた。
(5)違法逮捕の効果:被告人は、犯罪人の引き渡しとしてアルゼンチンから引き渡されたのではないため、裁判管轄権内に入った態様ついては考慮する必要がない。国際法上も、アルゼンチンは、イスラエルとの共同声明は、犯罪人を自国領域に戻すという要求を放棄している。
論点
- 普遍的管轄権に依拠して裁判管轄権を行使。国際法上、管轄権行使に明確な禁止規定がないこと及び当該行為の国際犯罪としての犯罪の性質を根拠とする。ただし、ジェノサイド条約6条の解釈上、全ての国に管轄権が認められるといえるかは問題。
- 誘拐や拉致といった態様で裁判管轄権内に連行することは国際法に違反するか。また、それによって裁判所は裁判することを禁じられるのか。主権侵害について抗議することができるのは、国家であるアルゼンチンのみであり、アイヒマン個人ではないことに注意。逆にアルゼンチンが主権侵害を主張し、返還を要求した場合はどうか。
- 米国連邦最高裁のU.S. v. Alvarez-Macain事件(1992)では、米国連邦薬物取締局(DEA)のエージェントを殺害したメキシコ人容疑者は、同局が雇用したメキシコ人により拉致され、メキシコからアメリカへ連行。メキシコは、これを主権侵害としてメキシコが強く抗議、同容疑者の返還のみが適切な賠償を構成すると主張。他方、最高裁は、拉致連行は裁判所の管轄権行使を阻害しないと判示 。
- 旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)の三段階の比較衡量:ICTYは、 Proescutor v. Nikolic 事件(2003)において、(1)普遍的に非難される犯罪(戦争犯罪、人道に対する罪、ジェノサイド)を迅速に裁判するべきという国際社会の期待、(2)領域主権の侵害、(3)被告人の「基本権」の侵害を衡量した上で、違法連行の効果につき判断。
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