Dancing in the Rain

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Life is not about waiting for the storm to pass but about learning how to dance in the Rain.

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耳を研ぎ澄ませること【旅エッセイ/アメリカ(ニューオーリンズ)】

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初めてのニューオーリンズなんだけど、どこに行けばいいんだろう、と僕は言った。バーボン・ストリートにひっそりと佇む年季の入った小さなバー。一面の鏡と端正に並んだ酒瓶を背にカウンターに立つ往年のバーテンの姿は、昔、教科書で見たマネの絵画をどことなく思い起こさせる。

それなら、本能に従うのよ、ベイビー、とバーテンは南部訛りのしゃがれた声で言った。それは至極簡潔でいて、的を得たアドバイスのように思えた。本能に従うこと。そして、耳を研ぎ澄ませること。僕が時間をかけてジン・トニックを飲み干した頃、部屋の片隅のジャズ・トリオは星影のステラをちょうど演奏し始めたところだった。

夜が更けるにつれて、バーボン・ストリートはどこからともなく夜行虫のように集まった雑踏でごった返す。昼間にどっと降った雨の湿気と相まって、外気はむせ返るような熱を帯びる。夜の街の喧騒の隙間から、軽快なリズムとともに漏れ聞こえてくる妖艶なアルト・サックスの音色。いつからそこにあるのか、辺りに散乱したアルコール用のレッドカップは、無慈悲なまでに踏み倒されている。

赤や青のぼんやりとしたネオンサインの人工的な光に吸い寄せられるように、たまたま通りかかったジャズ・バーに入り込む。薄暗がり店内の小さなステージでは黒人のピアニストがどこか聞き覚えのある古いスタンダード曲を演奏していた。その脇でアジア人の踊り子がステップの合間に客からチップを熱心にかき集めていた。この店で何十年も繰り返されて来た光景なのだろう。そして、きっとこれからも。

「この街には、船を買いに来たんだ」とカウンターの隣に座った男はそう言った。アルゼンチン出身の旅行者で、東京でも何年かタンゴ講師として働いていたことがあるという。退職して夫婦でずいぶんと長い間船旅を続けていたが、そろそろ船を新調する時期が来たとのことだった。ニューオーリンズはジャズ好きだけでなく、船乗りまでをも引き寄せる。

「ところで、日本の砥石ってのは、いいもんだね」と思い出したかのように彼は言った。
「砥石?」と僕は思わず聞き返してしまう。
「ほら、刃物を研ぐのに使うじゃないか。あれで一研ぎ、ナイフが切れ味鋭く蘇るんだ。今でも一つ持っているよ」と男は言った。僕は、また一つ自分の知らない世界があることに思い至る。

ふと、彼が碧いカリブ海に浮かぶ、地図にも載っていないような小さな島で、採れたての活魚を捌くために(おそらくセビーチェかなんかにするのだ)念入りに包丁を研ぎ澄ましているところを想像する。もちろん、日本にいた時から持ち歩いているお気に入りの砥石で。

でも、どこからか椰子の木を揺らす風に乗って、バンドネオンの音色が流れてくると、もう血が騒ぐというか、居ても立っても居られなくて、思わず男はタンゴを踊り出してしまうのだ。人目を気にする必要もない。そこには、眩しいくらいに無垢な太陽と、漂白された砂浜と、燦々と煌めくカリビアン・ブルーの海がどこまでも広がっているだけなのだから。

川べりで少し酔いでも覚そうと、賑やかな通りを抜けて当てもなく歩いていると、目の前には雄大なミシシッピ川が開けてくる。いくつもの遊覧船が汽笛を鳴らして浮かんでいた昼間の平和な様相とは打って変わって、そこにあるのは水平線までをも覆うどこまでも暗い闇だけだ。

湿気を含んだ夜霧が川面から漂ってくる。かつて奴隷交易が行われたこの港で。さっきまでの夜の街とはかけ離れた静けさに包まれる。音もなく風が吹く。僕は微かに肌が濡れていることに気がつく。またこの街に戻ってくることがあるのだろうか、と僕は思う。目の前の深淵をただ訳もなく見つめながら。