Dancing in the Rain

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Life is not about waiting for the storm to pass but about learning how to dance in the Rain.

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自分の目で見ること、耳で聞くこと(閉ざされた街で)【旅エッセイ/イスラエル】

僕はいつか自分の言葉で語らなければならないと思う。イスラエルのことを。パレスチナのことを。正義について。弱者について。
自分がこの目で見たことを、肌で感じたことを、ありのままに語らなければならないと思う。できる限りバイアスを排除して。主張のためではなくて、事実を伝えるために。

イスラエルを訪れる多くの観光客は悠久の古都エルサレムでいくつかの旧跡や教会を目にすることができれば、それで十分満足して帰って行くだろう。もう少しセンシティブな人は分離壁くらい見に行くのかもしれない。それから観光のついでにと、ベツレヘムまで足を運ぶかもしれない。でも、そこからさらに占領地まで足を運ぼうという人はほとんどいないんじゃないか。
 
「二階部分にはイスラエルの入植者が住んでるんだ。見上げると金網が張ってあるだろう?卵やらゴミやらを上から投げつけてくるんだ。それを防ぐための金網なんだ」パレスチナ自治区のヘブロン。レジスタンスの青年はすっかり寂れた通りを案内してくれた。アラブの街にしては不自然なくらいしんとしている。いくつか小路は屈強なフェンスで封鎖され、商店は完全に閉鎖されてしまっている。「もちろん、そこも昔はみんな店をやっていたんだよ」僕の思いを察したように彼は言う。
 
青年の首には抵抗のシンボルであろう赤いバンダナが巻かれている。陳腐なくらいに、分かりやすく。
 
イスラエルの入植政策により、何人ものパレスチナ人が生活の本拠を奪われた。頭上に張り巡らされた金網の隙間から見上げた先には、頑強な兵士が大型の銃を携えて周りを見渡している。兵士たちの存在は、まるでスターウォーズのストーム・トルーパーの格好をして銀河帝国の宇宙戦艦にこっそり潜り込んだかのような、そんな居心地の悪さを僕に感じさせる。
 
占領地はパレスチナ政府の自治の程度に合わせてエリアに分かれている。イスラエル側とパレスチナ側のエリア間を移動するときにはチェック・ポイントを通る。空港のセキュリティのようなものだ。パレスチナ人はそこで足止めを食らう。彼らに移動の自由はほとんどといっていいほどない。

それでも、彼らからその生活の凄惨さが伝わってこないのは、もはや目の前にある「現実」を自明のものとして受け入れざるを得ないからだろう。動かしようのない現状にすっかり「慣れて」しまったということかもしれない。彼らも僕らも結局のところそうやって「現実」と折り合いをつけて生きていかなければならないのだ。それでも生活は続いていくのだから。僕は少しばかりの餞別を贈り、レジスタンスの青年に別れを告げる。その金が何に使われることになるのか僕は知らない。

エルサレムに戻ると、パレスチナ側とは異なり、そこではアラブ人もユダヤ人もうまく共存しているように見える(もちろん銃器を携行したイスラエル兵士は至る所に嫌でも目につく訳だけれど)。旅人はここで歴史の教科書でいつか見たような世界観に触れることができるし、中東独特のなんとも言えない旅情を感じることもできる。でもそれは、見たくないものに目を覆うなら。聞きたくないものに耳を塞ぐなら。

僕は、物事の本質を見極めようと努める。正義について。弱者について。何も今に始まったことじゃない。憎悪の歴史は千年以上もこの地で繰り返されてきた。はるか十字軍の時代から。

ただ、僕は考えることしかできない。考えれば考えるほどいろいろなことが分からなくなってくる。それでも僕は自分の言葉を探している。何かを誰かに伝えるべき言葉を。どんなに考えたところで、それは不完全な言葉に過ぎないことは分かっているけれど。