Dancing in the Rain

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Life is not about waiting for the storm to pass but about learning how to dance in the Rain.

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強盗に遭った後の数時間のうちに起きたことについて【旅エッセイ/パナマ】

 

 

ようやく宿に戻ると、見慣れない日本人の女の子が二人、パティオの席に座って談笑していた。足元には大きな荷物置かれていた。昨日は見かけなかったから、ついさっき到着して一息というところなのだろう。

僕は軽く会釈して、彼女たちの前を横切った。オラ、と廊下の側に座った女の子はスペイン語で言った。彼女は、剥きたてのゆで卵みたいなつるりとした色白の肌をしていた。

僕はフロントに行って宿のスタッフに一通り事情を説明した。

通りを歩いていたら白昼堂々二人の男に羽交締めにされ、身ぐるみを剥がされ無一文になったこと、パスポートを再発行するための写真を撮るために親切な警察と一緒に街中を駆け回ったこと、片言の老弁護士に刑事事件として調書を取られたこと、これから日本の大使館員がここにやって来ること。

「結構大変だったのね」スタッフとのやりとりを横目で見ていた色白の女の子は言う。それから、あははと声を立てて笑う。「結構大変だったんだ」と僕は言う。

目の前に突きつけられた小ナイフの刃の照り返しがぎらぎらと揺らめく。その残影は否応なく誇張され、一時停止した映画のワンシーンみたいに、画面上に止まり続けている。たぶん、永遠に。

「日本のクレジットカード会社にも電話しないといけないし。アメリカのはネットでも止められたけど」と僕は呟くように言った。
「よかったら私の無料通話残ってるから使う?もう明日帰るからどうせ使いきれないのよ。繰越でかなり残量があると思う」と彼女は言った。

グラシアス、と僕は素直に礼を言った。そういえば昔も旅先のマドリードで同じようなことがあって、スペイン語を話す日本人に助けられたことがあった。彼女はパナマ生まれだった。どこかで重ねて見ている自分がいる。

その女の子は1年間のパナマでの交換留学を終えたところで、ちょうどこれから日本に帰るということだった(二人組だったのだけれど、不思議ともう一人の方は全く思い出せない)。経験上、女性バックパッカーについては自分の中で確立したイメージがあるけれど、彼女は(飛び抜けて明るく社交的だという点を除けば)そのどれにも当てはまらなかった。

「幸せとは何かについてレポートを書いてるの。日本に帰ったら学校に提出しないといけないから」と彼女は言った。幸せについては僕にもそれなりに強固な持論があったけれど、彼女はまさに口を開くと止まらないという感じで彼女自身の幸福論を延々と語り続けていたので、僕は隣の席に座って大人しく耳を傾けていた。

留学中ということだから僕はてっきり大学生だとばかり思っていたけれど、彼女はまだ若干17歳の高校生だった。思えばどこかあどけなさが残る。天真爛漫で何も怖いものなんて何もないのだ。眩しいくらいの自信に溢れていて、強気で、強情で、臆病になることを知らない。そういえば自分もそんな時があったなとどこか遠い目で彼女を見つめていた。

僕は無意識に歳をとることについて考えている。僕が一年分、折り返しの坂道を下り始めたところで、彼女たちはすれ違うように登っていくのだ。誰にもそれを止めることはできない。今の自分ならその事実をそっくりそのまま受け入れられるような気がする。棘を抜かれたサボテンのように、無関心に蝕まれながら。

「俺はなんでこんな年下の女の子と話しているんだろう、っていうのが顔に出てるわよ」と彼女は言った。悪戯な笑みに無邪気さが見え隠れする。よく考えてみれば、彼女は僕がこれまで旅先で出会ったどの旅行者よりも若かった。昔、大学生の時に家庭教師みたいなことをしていたから、別に高校生と話すのはなんともないけれど、こうして一度社会人となった身としてはどことなくぎこちない不思議な感じがした。

「おかげで助かったよ」と僕は言う。「うまくいくといいわね」と彼女は言う。

そうして彼女は颯爽と宿を出て行った。連絡先を聞いておけばよかったかな、と僕は思った。いつかこのお礼がしたいんだ、とか適当なことを言って。きっと断られることはないだろう。でも、何かが僕を引き留めた。

残された僕は一人、自分の置かれた状況について考えざるを得なかった。つい数時間前に強盗に遭ったことなんてすっかり忘れていたのだ。突きつけられた小ナイフの残像は彼女のつるりとした白い肌の幻影にすっかり置き換わっている。僕は、これからも生きていかないといけない。生きて、歳をとって、それから死んでいくのだ。それまで、生きていくのだ。