Dancing in the Rain

Dancing in the Rain

Life is not about waiting for the storm to pass but about learning how to dance in the Rain.

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ジョージア、湯気の消えた街で【旅フォト・ポートフォリオ】

赤い橋を渡って左側。30番のバス。といってもジョージア(グルジア)語の数字が読めるわけでもなく、バス停には何の標識もない。標識があったところで理解はできないのだけれど。とりあえず、クタイシの宿のスタッフに言われたとおり、やって来たバスに半信半疑で乗り込む。バスといってもバンのような古ぼけたミニバス。片手に地図を握りしめながら、他の乗客を押し分けて、目的地に近づいたところで「ここで降りたい」と告げて降ろしてもらう。もちろん、他に降りる乗客なんていない。

そこは、忘れ去られた町だ。

鄙びた温泉街、といってもいいかもしれない。ソ連時代、この町は温泉水の湧き出る保養地として、年間100万人ものロシア人が訪れたという話だ。温泉もあればホテルやプールもある、一大保養地だったわけだ。ただ、その賑わいも、長くは続かなかった。ジョージアが独立してロシアとの間で国境ができ、人の行き来が自由にできなくなってからは、この町を訪れる者もめっきり少なくなった。やがて建物は朽ちて、森に覆われていく。あるものは現代の遺構のように、ただそこに安置されている。

それでも、この地に湧き出る温泉水は本物で、リノベーションして再興された温泉もある。とはいえ、人はまばらだけれど。

天気は思いのほか優れなかった。大きな公園のような敷地が広がっている。古びたヨーロッパの庭園みたいだ。かつての栄華を偲ぶ。

 

いつの頃からか、一匹の犬が僕の前を歩いている。犬の種類には詳しくないけれど、どこにでもいるような雑種犬だ。耳にタグのようなものがついていて、完全な野良犬というわけではなさそうだった。その犬は、まるで先導するかのように僕の前を歩いて行き、時折、僕がついて来ていることを確かめるみたいに、こちらを振り返る。

気づけば巨大なドーム状の建物に行き当たる。壁には、大きな赤字で「崩落注意」「立ち入り禁止」と書かれている。そんなこともお構いなしに目の前の犬はスルスルとその中に入っていく。でも、ここまで来て、中に入らないわけにもいかない。

少しでも目を閉じた瞬間に、その一瞬で全てが崩れ落ちてしまうんじゃないか。そんな底なしの恐怖に囚われる。僕は一歩ずつ土を踏みしめて、それがそこにあることを確かめながら、廃墟に忍び入る。

そこがかつての浴場だったと事前に知らなければ、特殊任務部隊の秘密基地か、不運にもこの惑星に不時着した宇宙船の残骸に見えただろう。

静かに息を吸い込む。もはや存在しないはずの人々の営為が、僕の中で木霊する。

かつてそこにあったかもしれない大きな天窓から差し込む一筋の光。浴槽から立ちのぼる無数の湯気が揺らめく。天井から滴る水滴が壁を伝う。浴槽に浸かる人々、身体を洗う人々。談笑する声が反響する。むせかえるような蒸気に、頬が汗ばむ。僕は、息を呑む。

この光景を、どこかで見たような気がする。目の前の空間全体が、新進気鋭の現代美術の一部なんじゃないかという気さえしてくる。

でも、それは失われたのだ。1989年、彼らは自分たちの世界が崩れ始める音を、こうしてここに立って聞いたのだ。

 

廃ホテルも、まだそこに立っている。宿泊施設と温泉がセットになったリゾートだったことがうかがえる。宮殿のような造りで、白亜の柱が立ち並んでいる。ロシア流の懐古主義とでもいうべきかもしれない。けれど中は、まるで爆撃を受けた後のように散らかっている。水道管から水が漏れ出している。階段の柱は崩れ落ちて、むき出しになっている。

2階から、複数の野犬の声が聞こえてくる。姿が見えない分、恐怖が増す。いかにも凶暴そうな声だ。今なら無防備な僕が襲われることだって、十分に考えられる。煩いくらいに心臓が高鳴っているのが聞こえる。

けれど、じっと耳を澄ませているうちに、犬の声の向こうに、別の音が混じっていることに気づく。食器が触れ合う音。何かを引きずる音。低く流れるラジオのような声。微かな、生活の音。

野犬だと思っていたのは、飼い犬だった。あとで知ったことだが、2階には、1990年代の紛争でアブハジアから逃れてきた人々が、そのまま暮らしていたのだ。

なるほど、と思った。だから水道管からは、まだ水が漏れ出していたのか。最低限のインフラが生きていたのは、そこに人が暮らしていたからなのだ。

そう考えると、すべてが違って見えてくる。

僕は、この町を「忘れ去られた町」だと思っていた。もはや存在しない人々の営為に思いを馳せていた。けれど、僕が廃墟だと思って忍び入った建物の頭上では、今ここにある営みが、ずっと続いていたのだ。

世界が崩れたあとにも、人の暮らしは続いていく。

ふと、あの犬のことを思い出す。耳のタグ。完全な野良犬ではなさそうだと思ったのは、間違いではなかった。僕を先導していたのではなく、この町で暮らす犬が、いつもの道を歩いていただけなのかもしれない。

ウズベキスタン、永遠のサマルカンド【旅フォト・ポートフォリオ】

 

2025年8月。久々の二人旅。行き先は、昨今絶賛流行中(?)のウズベキスタン。日本からの週2回の直行便の恩恵もあってか、(少なくとも周りの旅好きにとっては)穴場的な人気を誇っている。

 

 

とはいえ、やはりスタン系は、どちらかといえば物好きな、玄人向けの旅先のようにも思われるのは仕方ないことなのかもしれない。

けれど、実際に行ってみると、治安、物価、食事、観光、どれをとってもバランスの良いウズベキスタンは、実はバックパッカー・デビューにも打ってつけの旅先ではないかと思えた。

 

 

ウズベキスタン旅行といえば、首都タシケント、古都サマルカンド、さらに古都ブハラ、余裕があれば古代都市ヒヴァへと、西へ西へと進むのが王道コースとなる。サクサク行けば1週間もあれば事足りるので、夏休みにはちょうどいいくらいのボリュームなんじゃないか。

 

 

想像していた通り、ウズベキスタン観光では、都市によって濃淡はあれど、ひたすらイスラム建築を見て回ることになる。ただ、この国のモスクの面白いところは、やはりその建築様式がペルシャ様式であるということだろう。わざわざイランまで行かなくたって、十分に見事なイーワーンを目にすることができる。

 

 

サマルカンド・ブルーとも呼ばれる鮮やかな青いタイルは、ウズベキスタン最盛期の指導者ティムールが好んだ色だという。ティムール自身はウズベク人ではなかったものの、彼の遺産が現代においてもこの国のナショナル・アイデンティティの一端を担っているというのは興味深い。

そしてそれを可能にしたのは、やはりシルクロードという土壌が育んだ、異文化への寛容性ゆえなのだろう。

 

 

イスラム神学校(マドラサ)のかつての宿坊は、大抵ハンドメイドの土産物屋になっているから、多くが観光客にも無料で開かれている。

ちょっとした広場のようになっている中庭のパティオには柔らかな陽光が差し込み、どこからともなく流れ込んできた風が青々とした木の葉を揺らす。

 

 

地元の人が談笑したり、遊戯台に興じたり、はたまたただぼうっと時間をやり過ごしていたりする光景は、どこかゆったりとした時の流れを感じさせる。途上国であれば大体同じようなものなのかもしれないけれど、ここには何だか懐かしいような風情がある。

 

 

街行く人々はアジア的な風貌で、敬虔とは言えないまでもイスラム教を信仰し、ロシア語に似たウズベク語を話す。外資系チェーンはほとんど皆無で、ソ連製のクラシック・カーは現役ながら、日本車はほとんど走っていない。

街は丁寧に清掃され、どこか計画されたように整然と花が植えられている。そんな風景の積み重ねが、ウズベキスタン独特の雰囲気というか、空気感みたいなものを静かに形づくっている(気がする)。

 

 

そんなウズベキスタンも、“最後の秘境”というか、インバウンドがものすごいことになっている。ヨーロッパからも団体客が大挙として押し寄せてくる(何故かよく見かけたのはスペイン人だった)。

ハイシーズンともなれば、長距離移動の要である国内唯一の鉄道=国鉄は連日のように満席で、行き当たりばったりの旅人を頭ごなしに悩ませる。周辺国に比べて観光需要が大きいのは、豊富な観光資源に加えて治安の良さが大いに貢献しているのだろう。

 

 

ブハラ、ヒヴァへと西に行けば行くほど町の様相は変化し、次第に古の人々が生きた乾いた砂の大地が広がる。露店の客引きも、いかにも交易の民らしい雰囲気だ。ここら辺までくると、自分が一体どこにいるのか段々と曖昧になってくる。

 

 

道中、油にやられてお腹を壊し、戦線離脱しかけたけれど、何とか二人でここまで辿り着いたのだ。まさかこんな学生みたいな旅をまだすることになるなんてな、と僕は思う。月並みだけれど、歳をとるのも案外悪くないのかもしれない。

最後の夜、いつものように国産の薄いビールを飲みながら、どこか遠くで鳴り響くアザーンを聞いていた。いつまでもこんな時間は続かないかもしれない。それでも、僕は今ここに在る瞬間を心から大切にしようと思った。そしてそれは、どうしようもなく愛おしい時間だった。

 



【メモ】米国によるイラン核施設への攻撃:国際法及び米国内法上の論点

 

この記事では、2025年6月の米国によるイラン核施設への攻撃について、国際法および米国国内法上の論点について考察しています。

 

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事実と経緯

  • 2025年6月21日、米国は、フォルド、ナタンズ、イスファハンのイランの主要な核施設に対して攻撃を実施(「ミッドナイト・ハンマー作戦」)。フォルド及びナタンズの攻撃にはBー2爆撃機7機により14発のバンカーバスターが使用、イスファハンの各施設には24発以上のトマホークミサイルが使用されたと発表。
  • 同日夜、トランプ大統領は演説を行い、同攻撃の目標はイランの核濃縮能力の破壊と、世界最大のテロ支援国国家がもたらす核の脅威を阻止することであった旨発言し、イランの平和の必要性を強調。平和がもたらされない場合の更なる攻撃も示唆。これを受けて、イランはイスラエルへのミサイル攻撃を継続。
  • 22日、イランの要請により、国連安保理緊急会合が開催。米国は、同軍事作戦は、集団的自衛権の行使により同盟国イスラエルを支援する目的であった旨説明。西側諸国はイランの核開発を非難、中露は米国の攻撃を強く非難。
  • 24日、イランは、カタールのアル・ウデイド米空軍基地に対するミサイル攻撃を実施(死傷者なし)。同日、トランプ米大統領は、イスラエル・イラン間の停戦を発表。

国際法上の論点:米国による集団的自衛権とイスラエルの個別的自衛権

  • 米国の軍事作戦は、イランに対する攻撃であり、国連憲章2条4項の武力行使禁止原則に違反することは明らか。
  • 他方、米国は、国際法上の違法性阻却事由として集団的自衛権の行使を主張していることから、まずはその当否について検討する。また、その前提となるイスラエルの個別の自衛権についても検討する。

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米国による集団的自衛権

  • 米国は、22日の国連安保理緊急会合において、「この作戦は、長年にわたって存在しながらも急速にエスカレートしている世界的な不安の根源を排除し、国連憲章に合致した集団的自衛権という固有の権利において、同盟国イスラエルを支援することを目的としている」旨説明。

米国連常駐代表代理によるステートメント(抜粋)

This operation sought to eliminate a longstanding but rapidly escalating source of global insecurity, and to aid our ally Israel in our inherent right of collective self-defense consistent with the UN Charter.

  • 集団的自衛権の要件:ICJ判決(ニカラグア事件及びオイルプラットフォーム事件)によれば、集団的自衛権の行使には、 個別的自衛権の行使要件(武力攻撃の発生、必要性、均衡性)の充足に加え、被攻撃国による攻撃事実の「宣言」及び被攻撃国からの支援の「要請」が必要。
  • したがって、米国の集団的自衛権行使が認められるかについては、イスラエルのイランに対する個別的自衛権の行使が認められるかに依存することになるが、イスラエルによる自衛権行使については後述する。
  • イスラエルの個別的自衛権が認められるとしても、米国に対してイスラエルから支援の「要請」があったことが必要(攻撃事実の「宣言」については自明)。これについて、米国は公式な「要請」があったことは明らかにしていないが、同盟国イスラエルによる一般的な要請はあったと見ることは可能。また、同要件が内政干渉及び集団的自衛権行使の濫用を防止するためのものであると考えれば、本件では問題とはならないと考えられる。
  • なお、国連憲章51条による自衛権については、手続要件として安保理への報告が必要であるところ、先述のとおり米国による自衛権行使はこれを充足している。

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イスラエルの個別的自衛権

  • 米国の集団的自衛権の行使の当否を検討するにあたって、イスラエルの個別的自衛権について考察する。考慮すべき事実と経過は次のとおり。
  • 6月13日、イスラエル軍(IFD)は、イランの核能力の破壊を目的として、イランの核関連施設や軍事施設を攻撃(ライジング・ライオン作戦)。イランも弾道ミサイル及びドローンにより報復。イスラエル・イラン間の応酬により民間人も含む多数の死傷者が発生(イスラエル側20名以上、イラン側640名以上)。

  • 13日の記者会見において、ネタニヤフ首相は、イランは高濃縮ウランを兵器化するための措置を取り始めたことから、放置すればごく短期間で核兵器を製造する可能性がある」ことから、核濃縮計画の中核を攻撃した旨発表。

自衛権行使の要件
  • 自衛権の要件:個別的自衛権の行使に当たっては、武力攻撃の存在、必要性及び均衡性、手続要件(安保理への報告)が必要。cf. 国連憲章第51条、ニカラグア事件ICJ判決等

  • 武力攻撃の存在:イランからのイスラエルに対する直接的な攻撃は確認されていないことから、武力攻撃の差し迫った脅威(imminent threat)に対する先制的自衛権(anticipatory self-defence)が問題となる。

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先制的自衛権の検討
  • 先制的自衛権については、ICJでは認められていないものの、学説的には、①時間的近接性(武力攻撃がまさに発生しようとしている状況であること)を重視する説、②攻撃を実施する能力を獲得し、将来のある時点で攻撃を意図している場合に認められるとする説(「last possible window of opportunity」理論)が主として議論。
  • 本件の場合、核攻撃がまさに発生しようとしてる状況であったとはいえないことから、仮に先制的自衛権を援用する場合はイスラエルが依拠すべきは、後者となる。そのためには、イランが核攻撃の能力を有しており、かつ、イスラエルを攻撃する意図があったことが必要となる。
  • まず、「能力」について、イスラエルは、イランが高濃縮ウランを兵器化し、核兵器を製造する可能性があった旨主張しているが、差し迫った核攻撃を裏付ける証拠は明示されておらず、米国もこれを公には確認していない。ただし、国際原子力機関(IAEA)は、6月12日にイランのNPT不遵守(non-compliance)を再確認していることに留意。
  • 次に、「意図」について、イランはこれまでイスラエルに対する敵対的言説を繰り広げてきており、一般的な攻撃意図があったことは認められるが、イスラエルに対する明確な核攻撃の意図があったとは考えられない。
  • したがって、少なくとも現時点で判明している情報によれば、イスラエルによるイランの攻撃が先制的自衛権の行使であったと認めることは困難。

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開戦法規と戦時国際法との関係ー現在進行形の紛争の場合
  • イスラエルは、米国とは異なり、イランへの攻撃に際して自衛権の行使を主張していない。
  • これについて、2024年のイランーイスラエルの軍事衝突、2023年10月のシーア派武装組織ヒズボッラーによるイスラエル攻撃、同じくシーア派武装組織のホーシー派(フーシ派)による攻撃を一連の軍事紛争と捉えた上で、今回のイスラエルによるイランへの攻撃は、現在進行形の(ongoing)武力紛争の一環であることから、開戦法規(jus ad bellum)は問題とならず、イスラエルは自衛権行使により武力攻撃を正当化する必要がないとする主張もあり。
  • これに対して、開戦法規と戦時国際法(jus in bello)は独立した法体系であり、軍事紛争の開始により開戦法規から戦時国際法へと適用法規が切り替わるのではなく、仮に現在進行形の紛争と捉えたとしても開戦法規が引き続き適用され、今回のイスラエルの攻撃について自衛権行使の当否が問題とならないわけではないとする見方もある。
  • また、必要性及び均衡性についても、現在進行形の軍事紛争であっても引き続き開戦法規に照らして必要性及び均衡性の充足が問題となるとする立場と、必要性及び均衡性は最初の武力攻撃の開始時のみ必要とする立場で懸隔がある。
  • 仮に戦時国際法(及び国際人道法)が適用される場合、ジュネーブ諸条約追加議定書によれば、核施設は「正当な軍事目標」として認められうるが、イスラエルが攻撃対象とした原子力科学者は、軍隊への一員であり戦闘員として認められない限りは、文民(civillian)への攻撃として認められない。
  • なお、ヒスボッラーやホーシー派のような非国家主体ないし代理(proxy)の行為の国家帰属基準については要検討。

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米国内法上における論点

  • 本項目では、米国によるイランへの攻撃について、米国内法上の論点について考察する。大統領の軍事力行使権限全般については以下を参照。

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戦争権限法(WPR)に基づく報告書

  • 6月23日、米ホワイトハウスは、1973年の戦争権限法(War Power Resolution; WPR)に基づき、イランへの攻撃に対する報告書を議会に提出。
  • 同報告書において、トランプ大統領は、イランへの攻撃は「イランの核開発プログラムを排除することで、米国の極めて重要な国益(national interests)を増進し、同盟国イスラエルの集団的自衛のために行われた」ものであることを表明した。
  • また、同報告書は、イランへの攻撃の米国内法上の根拠として、合衆国憲法第2条の最高司令官(commander-in-chief)としての大統領権限と外交権限(foreign relations power)を援用した。同時に、国際法上の正当化事由として同盟国イスラエルの集団的自衛権についても言及した。

トランプ大統領による議会報告(抜粋)

The strike was taken to advance vital United States national interests, and in collective self-defense of our ally, Israel, by eliminating Iran’s nuclear program.
The strike was limited in scope and purpose. The United States discretely targeted three Iranian nuclear facilities. Iranian troops and other military facilities were not targeted.

No United States ground forces were used in the strike, and the mission was planned and executed in a manner designed to minimize casualties, deter future attacks, and limit the risk of escalation.

I acted pursuant to my constitutional authority as Commander in Chief and Chief Executive and pursuant to my constitutional authority to conduct United States foreign relations.

The United States took this necessary and proportionate action consistent with international law, and the United States stands ready to take further action, as necessary and appropriate, to address further threats or attacks.

憲法上の大統領権限と議会承認

  • 合衆国憲法第2条は、大統領に対して、最高司令官としての権限を規定。他方で、同第1条は、連邦議会に対して、宣戦(declear war)権限を規定しているため、両者の解釈を巡っては伝統的に争いあり。
  • 議会の承認がない場合に大統領が最高司令官としての独自の権限に基づき軍事力を行使することが可能であるかについては、米司法省法律顧問局(Office of Legal Counsel, OLC)の見解である、二段階テスト(①国益要件、②戦争要件)に基づいて判断されてきた。
  • 今回の報告書も、同テストに合致するよう、①極めて重要な「国益」の増進への言及があり、②議会の宣戦を要する「戦争」に相当しない限定的な攻撃であったことが表明されている。
  • また、トランプ第一次政権ではしばしば援用されてきた、2001年及び2002年の軍事行使権限承認 (Authorization of Use of Military Force, AUMF)について言及なし。特に後者についてはイランをもカバーするものであるか疑義があった(関連事案として以下の記事を参照)。

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承認なき軍事作戦に対する批判

  • 軍事行動に際して議会承認を求めることなく、大統領権限のみに依拠して軍事行動を行ったこと、及び、WPR上の事後報告のみとなったことから、議会によるコントロール及び説明責任の観点から問題視。
  • また、同報告書は、イランへの攻撃を正当化するための明確な「国益」が何であるかについて明示されておらず、イランの核開発を排除するという言及のみでいかなる「脅威」があったのかについても明らかにされていない。
  • OLC基準を満たすることを目的とするのではなく、イスラエルーイラン紛争が激化する状況において、米国によるイランへの攻撃が戦争へとエスカレーションする危険まで考慮した上で「戦争」に相当するかを判断すべきではないかという論点あり。

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ワルシャワと黄金の秋、霧の宮殿【旅フォト・ポートフォリオ】

 

 

久々に霧深い、ワルシャワの朝。

黄金の秋が過ぎ去って、長く暗い冬がやってくる前に、と寝ぼけた自転車で繰り出す。

 

 

いつものワジェンキ公園への通り道。

湖の向こうにうっすらと水上宮殿が見える。タルコフスキーのノスタルジアみたいな。

 

 

土の中に溶け込んだ昨夜の雨の匂い。 気がつけば森の中に入り込んでいる。

いつもと違う時間帯だからか、すれ違うのはジョギングをしている人や犬の散歩をしている人くらいだ。

 

 

モミジやイチョウみたいに鮮やかではないけれど、燻んだような落葉が静かな淋しさを伝えている。

 

 

ポーランドのヴェルサイユ宮殿とも言われるヴィラヌフ宮殿。

華やかな外観も霧の中では自分が見ているものが幻影なのではないかと疑いたくなる暗いどこか神秘的で荘厳に見える。

 

 

 

宮殿の裏手の湖の周りを歩いていく。角を曲がった先に、誰かがひっそりと待ち受けているんじゃないかと想像しながら。

ところどころに立ち並んだ名もなき石像が、しっかりと沈黙を守っている。

 

 

またこの季節が巡ってくる頃には、もう自分はこの国にはいないんだろうな、と思う。僕はそれを予感する。そして、それが抗いようのない厳然たる事実であることを知っている。

だからこそ、今、ここから離れたくないと思う。深く息を吸って、自分の中に詩情を留め置きたいと思う。

 

 

足の踏み場もないほどの落葉。寒くなるとどっと葉を落とし、そのうちに川も凍るような冬がやってくる。出口のないトンネルみたいに、暗くて冷たい東欧の冬だ。

でも多分、僕はその冬ですらどうしようもなく愛おしく思うのだろう。

 

 

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それでもどこにも行くことができない君へ

「こんなお堅い仕事してますけどね、本当は、自分のことなんて誰も知らないような外国の街に飛び出して、肩で風を切って通りを歩いてみたい、なんて思っているんですよ」と彼はいかにも照れ臭そうに言った。はにかむと彼の小さい目が更に小さくなって、ついには見えなくなった。「全く別の人生を送ってみたいというか。本気でそう思っているんです。密かな願望とでも言えばいいですかね」

日曜日の午後の駅近のビアカフェ。ぐずついている天気のせいか人はまばらだ。徐々に夕食時が近づいているということもあるのかもしれない。

「だったら、きっぱり仕事を辞めて、何なら明日の便にでも飛び乗って、試しにどこか行ってみればいいんじゃないですか」
「どこって言ったって、一体どこへ」「うーん、ほら、たとえばエルパソとか」と僕は思いつきで、それでも割と真剣に言ってみた。

エルパソ?何でよりによってエルパソなんだ?東京からわざわざテキサスの端っこまで行って、国境を越えてメキシコ側でしばらく身を隠せとでもいうのか?リオ・グランド川を渡って?古いギャング映画みたいに?

茶化すのはよそう。いつもの悪い癖だ。

案の定、彼はきょとんとしたような表情で、ひとしきり僕の言ったことについて思案しているようだった。多分エルパソがどこかなんて分かっていないのだろう。町の名前だと分かっているかも怪しい。でも、彼がエルパソを知らなかったことによって非難されるべきではない。これまでも、この先も、彼の人生において(というか多くの人々の人生において)エルパソが重要な意味を持つことはおそらくないのだから。

それから、彼は思い出したかのように手元のいかにも甘ったるそうなフルーツティーをストローでかき混ぜた。氷はすでに溶け切ってしまっている。おかげで僕はビールのおかわりを頼めずにいる。

「確かに今の仕事はそんなに好きじゃないですよ」と彼は話題をさっと変えるようにそう言った。「平日は仕事ばかりで、楽しみといえば週末に学生時代からやってるバレーボールをすることくらい。とはいえですね、やっぱり仕事はそんなすぐに辞められないですよ。他人に迷惑もかかるし。何よりお金も大事です。働くことは、生きることです」

働くことは、生きることです、と僕は心の中で復唱した。死ぬことは、生きることです、と別の誰かが言った。

「でも、このままじゃたぶん変わらないと思いますよ。何も」と僕は意地悪く言ってしまう。「変わりたいと思っているだけで終わってしまうかもしれませんよ」そうやってまた性懲りもなく正論を振りかざす。

出し抜けに僕は、彼が言ったように「肩で風を切って」ストックホルムかどこかの裏通りを颯爽と去っていく姿を思い浮かべた。身の丈に合っていないトレンチコートに首を埋めて。やや滑稽な光景だけど、どこか小説的で気に入った。

「分かりました。そうですよね。じゃあ、来年こそ、有給使ってとりあえずどこかに行ってみます」と彼は誰かに向かってそう言った。「出来れば日本人に対して偏見のないような国がいいんですよね。どこがいいですかね。やっぱり台湾とかですかね」そうかもしれないですね、と僕は誰でもない声で言った。

店の外に出ると、いつの間にか降りやんだ雨は街を夜の光ですっかり染め上げていた。風が少し寒い。ついつい長居をしてしまったようだった。次の予定があるわけではなかったけれど、ここで切り上げないわけにはいかない。

「何かが変わるかもしれない」と彼は最後にそう言った。
「何かが変わらなくても」と僕は返す刀でそう言った。

そうして彼は駅の方へと消えていった。
そこには、じゃあ、もなければ、またね、もなかった。