Dancing in the Rain

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Life is not about waiting for the storm to pass but about learning how to dance in the Rain.

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コルカタの夜、二つの瞳【旅エッセイ/インド】

 

 

「君、いい靴を履いているね」

コルカタの雑踏の中でふと足を止めたとき、後ろから二人組の若いインド人の青年に声をかけられた。インドの町中で声をかけられるのにはもう慣れっこだったし(大抵何らかのトラブルに見舞われることになるのだが)、その日は特段予定もなかったから、適当に話に付き合ってみることにした。

あれこれ話しているうちに、二人組の男と妙に気が合ってしまい、一緒に食事に行くことになり、映画を見ることになり(もちろんボリウッド映画だ)、おまけに地下のバーで一緒にビールまで飲んだりした。

2週間ほどのインド旅行もそろそろ終わりというタイミングだった。短い時間だったけれど、それなりに楽しくやっていたと思う。こうやってすぐに打ち解けることができるのもインド人ならではだろう。今までいろいろあったけれど、最後に良い思い出ができて良かったと早くも安堵していた。

日もすっかり暮れてきて、そろそろ解散時かなと思っていた矢先に、次はスネーク・ショーを見に行かないかと誘われた。スネークといっても本物の蛇ではない。身体をクネクネとくねらせるダンスのことを指しているようだった。どうしても胡散臭さを拭うことはできない。ついに来たか、と思ったものの、それでも僕は反射的にイエスと答えつつ、現金がないので宿の部屋に取りに戻りたいと言った。

インドではかなり散々な目にあって、それでもその度に屈強になっていく自分がいた。初日に死の危険を感じたこともあって、初めてホームシックみたいな状態にもなったし、怖くて人と関わりたくないと思ったりもした。旅を続けていても、次の目的地に行けるかどうかも不安で、このまま帰りのフライトまで一歩も動きたくないと思う瞬間もあった。必要以上に疑心暗鬼になり、目に映る何もかもが異質なものに見えた。自暴自棄になったり、相当な無茶もした。

でも、もうその旅も終わりに近づいていた。明日には列車でデリーまで戻らないといけない。これまで結構無理をしてきたけれど最後の最後で下手を打つわけにもいかない。宿の部屋に戻ると、急に冷静な頭が戻ってきた。このまま無視してぶっちぎることだってできるかもしれない。でも、ここで逃げてはいけない。きちんと伝えるのだ。

「君を信用してる。今日は一日本当に楽しかった。でも自分の身の安全も大事だ。これまで旅の途中で色々なトラブルにあった。一緒に行けないのは申し訳ないけれど、理解してほしい」と僕は言った。声には自然と熱がこもった。薄明かりの中で、二つの瞳が僕を真っ直ぐ突き刺すように見つめている。世界中からかき集めたありとあらゆる誹りと非難が、彼の一対の目を通じて僕に向けられているかのように感じられた。

闇を引き裂くような沈黙が走る。「お前にとってインド人はみんな嘘つきで悪い人間なんだな」と男はなじるようにそう言った。インドに来てから起こった出来事や出会った人々のことがぐるぐると頭を駆け巡った。「たった数週間の中の経験だけで、判断するわけだ」と男は吐き捨てるようにそう言った。僕はその場を取りなす都合の良い弁明すら思いつかなかった。この会話が行き着く先はどこにも見当たらなかった。

「そうか、わかった。来ないならもういい」結局、彼は突き放すように言うと、もう一人の男と一緒にさっと踵を返してその場を去っていった。そこには怒りでも不快感でもなく、呆れたような響きがあるだけだった。正直、このままどうなるのだろうと(きっと何かと因縁をつけて幾らか払わされるのだろうと)内心どきどきしていたけれど、取り越し苦労に終わった。

今でも、ふと、その何かを見透かしたような男の目を思い出すことがある。褐色の肌は闇夜に紛れ、動物的な鋭い二つの目だけがぎょろりと光る。それは決して嘘をついている人間の目ではないことぐらい分かっていた。その目は、男が去った後も力無く立ち尽くす僕の前に残像となっていつまでも留まり続けた。喧騒も熱気も、全てを置き去りにして。

人を信じる、ということはあまりにも難しい。仏陀が悟りを開いたのがインドだというけれど、僕にはこの地で真理なんて到底見つかるとは思えなかった。