Dancing in the Rain

Dancing in the Rain

Life is not about waiting for the storm to pass but about learning how to dance in the Rain.

MENU

鏡【旅エッセイ/アメリカ(テキサス)】

f:id:hiro_autmn:20230402135030j:image

「鏡の中に見えるものは、実際はより近くにあることがあります」

ふと目に入ったサイドミラーにはそう書いてあった。事故を防止するための注意書きなのだろうけれど、なんだかそれは深遠な哲学的命題のように響いた。もう何日も同じ車に乗っているのに、どうして今の今まで気が付かなかったのだろう。

気持ちの良いくらい真っ直ぐに延びたハイウェイ。アメリカの古いロードムービーで見たようなトレーラーハウスやら長距離トラックが地平線の向こう側へと吸い込まれるように消えていく。もう何時間も変わり映えのしない景色が窓の外に滞留していた。

延々と続く砂塵の中を車はひたすらに進んでいた。視界が徐々に不明瞭になり、方向感覚が奪われていく。どうやらやっとメキシコ国境まで近づいているようだった。携帯で天気予報を確認すると案の定、砂嵐になっていた。砂嵐?それはこれからどうなっていくことを意味するのだろう。

フェニックスからサンタフェに向かう途中、メキシコへと至る町、エルパソに立ち寄ることになった。そこに何かがあるというわけではないけれど、いつかその国境の町に行きたいと思っていた。エルパソ。街の南を走るリオ・グランデ川によって二つの国は厳然と隔てられている。近くて遠い隣国。古い映画で見た景色。飛び交うスペイン語。

時期が悪かったのか、エルパソのダウンタウンはまるで廃墟のように人気がなかった。「今は生憎ね、再開発中なのよ。だからどこも閉まっていて。みんなわざわざ隣街まで遊びにいってるんだから」とモーテルのオーナーは言った。どうもツイてなかった。それでも砂嵐はだいぶましになっていた。くっきりとはいかないかもしれないけれど、夜景だって見えるかもしれない。

南の高台にたどり着いた頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。目の前のリオ・グランデ川を越えると、もうそこはメキシコなのだ。国境の南。そういえば、僕もつい数ヶ月前はあちら側にいたのだ、と妙な感慨を覚える。

対岸には風に触れて波立つ水面のように、眩しいくらいのオレンジの光が妖しく揺らめいている。それは、丘の斜面を埋め尽くすように立っている小さな家屋が放つ無数の光だった。眠らない都市の冴えた光でもなく、不自然に彩られた人工的な明かりでもなく、そこに息づく人々の生活の灯だった。ずっと昔から変わることのない暖かな光だった。それからたぶん、何かに呑み込まれる前の命の輝きだった。 僕はその一つ一つにあるべき物語に想いを馳せる。

ふと、中米ホンジュラスからアメリカに逃れてきたクラスメイトがいたことを思い起こす。祖国を捨てて歩いて北上し、メキシコで見ぐるみを剥がされた挙句、仲間と離散するも、この広大なリオ・グランデ川を命からがら渡って新天地へとやってきた、若き青年のことを。確か彼はまだ20歳かそこらだった。彼もこの丘に立って遥かなる故郷を見返したのだろうか。

街で軽く食事をとって、ハイウェイ傍のうらぶれたモーテルに戻る。備え付けの湿気たインスタント・コーヒーに湯を注ぐ。くたびれたベッドに沈み込むように座ると、ちょうど部屋の隅の物陰に置かれた姿見が目に映る。生気のない顔をした男がこちらをじっと見ている。長い1日だった。相棒は既に静かに寝入っている。

誰かが言う。

「鏡の中に見えるものは、実際はより近くにあることがあります」

ゆっくりと立ち上がって、鏡の方にすっと手を伸ばしてみる。僕は何かが静かに忍び寄って来るのを知っている。それは仄暗い洞穴に身を潜めながら、いつか僕を絡め取ってやろうと、緑の双眼を輝かせているのだ。鏡の中に迷い込もうとも、目の前に広がる大河に飛び入ろうとも、逃げ場はどこにも見当たらないのだ。