Dancing in the Rain

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Life is not about waiting for the storm to pass but about learning how to dance in the Rain.

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あるいはメタフォリカルな窓をくぐり抜けて【旅エッセイ/モンテネグロ】

「廃墟の教会が見えてきたら、その窓から外に出るのよ。そうしたら帰りはちゃんと城壁を辿って帰ってこれるから」と彼女は言った。そこに必要な情報が欠けているのは明らかだったけれど、彼女のそのどこか預言じみた断定的な口調は、それ以上僕が質問するのを妨げた。

コトルの城塞は、正面から入るといくらか入場料が取られるのだけれど(しかもこの一年でかなり値上がりしたようだ)、山の裏手に別の入り口があって、そこからなら実は無料で入ることができるという。僕はこのパターンを東大寺方式と勝手に呼んでいる。どうやらこのこと(東大寺のことじゃない)は公然の秘密ということで、聞いてもいないのに宿のスタッフが丁寧に行き方を教えてくれたのだった。

旧市街を西の門から出て街を囲う堀を越え、ぐるりと迂回するように山手へ進むと、山頂の方に向かってジグザグ道が続いているのが見えてくる。道がつづら折になって、と伊豆の踊子が顔を出す。結構な急斜面だけれど、同じことを考えているのは僕だけじゃないみたいだった。思ったよりも人がいる。でも、観光客というよりは地元民かもしれない。

このままどこを目指せばいいのだろうと、携帯に入れていた地図アプリを開くと、行先にはご丁寧にも「城塞への隠れた無料の入り口」と表示されている。旅の夢もロマンもへったくれもない。文明はまた一つこの世界を退屈なものにさせる。

うだるような暑さの中、折れ線グラフみたいに曲がりくねった山道を端から端まで行ったりきたりしながら歩みを進める。振り返るたびに、ゆっくりとそれでいて確実に街が遠ざかっていく。南欧に独特の背の低い渇いた草木が申し訳程度に繁茂している。

それでも、ハイキング気分でいつまでも山道を歩いているわけにはいかない。廃墟の教会の窓から外に抜けるのだ、と頭の中で反復する。まあ、当時のベネチア人が建てた教会が、今も山の中腹にいくつか残っているのだろう。そのうちのひとつを見つけ、窓から向こう側へ抜けることができればいいということなのだ。きっと。

でもまさか、教会に忍び込んで、窓から外に出るということじゃないだろう。それはあまりにも荒唐無稽じゃないか。BGMにドアーズの「ブレイク・オン・スルー」でも流せばいいのだろうか。あるいは、逆に教会の裏の窓から入って、入り口の扉から出ることになるのかもしれない。

そもそも、廃墟かどうかなんてどうやって見分けるんだろう。教会の中の人に(いればだけど)ここは廃墟ですかとでみ聞いた方がいいのだろうか。いやいや税金対策で誰かに貸し出しているだけなんですよ、とか言われたりして。残念ながら今のところ私のまともなジョークを評価してくれる人もいない。やるしかない。ジャストメイクイットハプン。

そうやって考えて歩いているうちに、何とも腑に落ちない話だけれど、気がつけば僕は城壁の側へ抜けていた。多分僕は知らない間に彼女が廃墟の教会の窓と呼ぶものをくぐり抜けていたのだ。どう考えてもそれらしいものは見当たらなかったけれど。あるいは、それはメタフォリカルな表現としての窓だったのかもしれない。子どもの時に唄った手遊び歌みたいに。

城壁に沿ってひたすら山頂へ向かって階段を登っていく。万里の長城みたいに城壁が麓の旧市街からずっと続いているのだ。ヴェネツィア共和国の隆盛に思いを馳せながら、ふと見上げるとモンテネグロの双頭の鷲がはためいている。強者どもが夢が跡、と僕は呟く。

夕日は、コトル湾ではなくその向こう側へと沈んでいく。クロアチアやギリシャの時もそうだったけれど、なぜ港町まで来て必死になって山に登っているんだろうな、とふと思う。でも、僕の場合、そうやって汗をかいた妙な思い出の方が、ずっと記憶に留まり続けるようだ。実際のところ、他にモンテネグロで何をしていたかなんて、一つも思い出せないのだ。