Dancing in the Rain

Dancing in the Rain

Life is not about waiting for the storm to pass but about learning how to dance in the Rain.

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次の風がまた吹き始めるまで【旅エッセイ/モロッコ②】

 

砂山に足を埋めながら、尾根を一歩一歩進んでいく。結構な高さがあるけれど、不思議と怖さはない。落ちても大した怪我はないだろうとたかをくくっているからだろうか。額に汗がにじむ。

日陰の側の砂にそっと素足をつけてみる。同じ砂とは思えないくらい冷んやりとしている。僕はその下で静かに息を潜めているはずの無数の生命のことを思う。その更に深くに流れているはずの冷たい地下水脈を想像する。

風が新しい砂をどこからともなく運んでくる。どんなに足場を乱しても均整な砂山がまた形作られる。くりかえし、くりかえし、途方もない時間をかけて。

それでも僕は何とかそれに抗いたいという衝動に駆られる。自分がここに存在した証をきちんと残しておきたいと思う。けれど、いくら足跡を残しても、やがてそれは波に攫われる浜辺に描いた文字のように失われる運命にある。それは、お前なんてこれまでも(そしてこれからも)存在しないのだぞ、という大いなる大地からのメッセージみたいに思える。

***

思えば子どもの頃からいつかは砂漠に行きたいと思っていた。

行きたい場所なんていくらでもあったわけだけれど、砂漠だけは特別でそこには何かしら僕を否応なく惹きつけるものがあった。タクラマカン砂漠だって、ゴビ砂漠だって、アタカマ砂漠だって、何だってよかった。

その風景は明らかに僕の生活(というかおよそ全ての当時の日本の少年たちにとっての生活)とはかけ離れていたし、だからこそ決して自分が訪れることのない世界の一部だと思い込んでいた。でも、あれから10年近く経って、僕はこうして今、思いのほか強い風に吹かれながら、モロッコのサハラ砂漠の真ん中を黙々と歩いているのだ。どんなに逞しい妄想よりもリアルに。

***

ふと振り返ると、途中まで一緒に歩いていた韓国人の彼女はまだずっと遠くの方に小さく見える。どこからか軽快な音楽が風に乗って流れてくる。彼女は携帯でかけた音楽に合わせて歌いながら登っているのだ。僕のことなんて眼中にないのだろう。それでも彼女は何だか僕以上に砂山を楽しんでいるように見える。彼女には彼女なりの砂漠との向き合い方があるということなのだ。きっと。

とはいえ先はまだ長い。不気味なくらい真っ青な空から、絶え間なく陽射しが差し込んでくる。そこには文字通り雲ひとつない。それでも不思議とそれほど暑くはない。

時々吹く突風に足元を捕らわれそうになりながらも、山頂を目指して歩いていく。もちろん、どこを見渡しても道は見当たらない。逆に言えば、どの方向にだって進行を妨げるものはない。あるのは砂だけだ。結局のところ、山頂みたいなもの(それだっていつか風に吹き飛ばされて平地になってしまうかもしれない)に向かって登っていくしかないのだ。

頂上に辿り着いて息をつく間もなく、僕は鳥の眼になって辺りを見渡す。

地平線は大地と空の境目をくっきりと分け違えている。眼下には出発したバラックがはるか遠くに見える。少しばかりの灌木が申し訳程度に生えている場所だ。僕は呼気を整えてじっと耳を澄ます。風の音だけが聞こえてくる。強い風だ。僕はそのまま目を瞑る。すると突然に風が止む。とてつもなく深い静寂が訪れる。

しばらくして息切れした彼女もようやく山頂にたどり着く。僕と彼女は言葉も交わさずに申し合わせたように沈黙する。まるで世界から放り出されて、言葉を失ってしまったみたいに。

どれくらい時間が経ったか、見上げると日が頭の真上に昇っている。すっかり時間の観念が失われていたけれど、そろそろ昼時なのかもしれない。タジン鍋とクスクスが僕らの帰りを首を長くして待っているかもしれない。

でも、もう少しだけ、こうしていたいと思う。この無音の世界を彼女ともう少しだけ共有していたいと思う。永遠という時間の中で囚われていたいと思う。せめて次の風がまた吹き始めるまで。