Dancing in the Rain

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Life is not about waiting for the storm to pass but about learning how to dance in the Rain.

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タタール人とカワハギ(あるいは見晴らしの良い高台への行き方)【旅エッセイ/ルーマニア】

どういう経緯だったのか忘れてしまったけれど、ブカレストからドラキュラ城のあるブランへ向かう途中、ブラショフという小さな町に立ち寄った。山に囲まれた古い町だった。名前こそよく知られていないものの、中世の町並みを今に残す美しい町で、ルーマニアでは有数の観光地のようだった。

土壇場で予約したゲストハウスは山の中腹にあった。初夏の新緑の隙間から柔らかな陽光が漏れこぼれていた。僕はとりあえず部屋に荷物を置くと、階段を降りて共用キッチンへと向かった。ドアの向こうには既に人影が見えた。小柄な老人だった。ハンチング帽を被って、白い口ひげを蓄えている。旅行者というよりは、宿のスタッフのように見えなくもなかった。国籍はよく分からない。

僕はその老人に軽く会釈をして、備え置きのインスタント・コーヒーを作った。それから僕は、老人の座っている隣のスツールに腰掛け(他に座れるような場所は見当たらなかった)、テーブルの上に置いてあった町の地図を広げて見ていた。ろくに下調べもせずにここまで来てしまったのだ。どうやって旧市街に行けばいいのかすら分からない。

老人は何をするでもなくじっと白い壁を見つめていた。何か考え事でもしているのかもしれない。僕のことなんてまるで眼中にはないようだった。それでも、その狭苦しいキッチンで二人黙っているのも何だか気まずい気がして、どこか町を見渡せる、景色のいい場所がないですかね、となんとなく彼に声をかけてみた。

それが最初の間違いだった。

「魚みたいな形をしてるだろう?これがルーマニアだ」老人は手元にあった何かの裏紙にぐりぐりと歪な円形を書きつけながらそう言った。それは単に魚というより、カワハギと言われればしっくりくるような気がした。でも彼がカワハギを知っているとは到底思えなかった。あるいは、カワハギみたいな形をした魚がルーマニアにもいるのかもしれない。それで彼は魚だと言っているのかもしれない。

「いいか、北東にロシア帝国、西にハプスブルク帝国、南にオスマン帝国だ。この魚はずっと敵に囲まれていたんだ」と彼は続けた。たしかによく考えてみれば、他の多くのバルカン半島の国がそうであるように、ルーマニアだって巨大な帝国に翻弄されてきた歴史を持っているのだ。中世の頃の話ですね、と僕は試しに言ってみた。返事はなかった。


「中でもタタール人(トルコ人)は、おっかないんだ。やつらは音もなく近寄ってきて、それから音もなく殺すんだ。ニンジャだ。ニンジャと同じだよ」そう言って彼は、どちらかといえば忍者というより、必殺仕事人みたいなジェスチャーをしながら、往時のトルコ人がいかに脅威であったかということをありありと再現してみせた。その話はなぜか日本史の教科書で見た蒙古襲来の図を思い起こさせた。てつはうの恐怖。


「タタール人は本当におっかないやつらなんだ」老人はこの目でそれを見たのだと言わんばかりに、鼻息荒く必死に語り続けていた。僕はずいぶん前に空になったコーヒーカップを飽きもせずにすすりながら、やはりぼんやりと町の地図を眺めていた。別に急いでいるわけじゃないんだ、と僕は自分に言い聞かせた。それに自分が切り出した話じゃないか。


それにしても話はずいぶんと長引きそうだった。老人はいつの間にかどこかの国の植林の話をしていた。次に気がついたときには、産業化とインテリゲンチャの関係性について話をしていた。僕は適当に相づちを打っていたけれど、ヨーロッパ訛りの英語のせいか、話がうまく入ってこなかった。やっぱりそろそろ切り上げた方がいいかもしれない。

この調子だと丸二日経ったとしても見晴らしの良い高台への行き方の話題には辿り着きそうになかった。