Dancing in the Rain

Dancing in the Rain

Life is not about waiting for the storm to pass but about learning how to dance in the Rain.

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ハリケーンと夜の汽笛、何かを待つということ【旅エッセイ/アメリカ】

巨大なハリケーンから逃れるために、グレイハウンド(アメリカ南部ではほぼ唯一の長距離バスだ。ビリー・ジョエルの昔の曲に出てくる)で、ノース・カロライナからジョージアのアトランタ、それからテネシーのナッシュビルへと向かった。ちょうど大学院の授業も休講になったのも好都合だった。いつもと変わらずバックパック一つ肩にかけて、懲りもせずに夜行バスに乗り込んだ。暗がりの中、車内はマリファナの匂いが漂っていた。隣に座った乗客の手提げ鞄の中からは子犬の瞳が覗いていた。

バスは夜中に何度もガソリン・スタンドで止まった。その度に、他の乗客はチップスやらバーやらのスナックと、いかにも身体に悪そうなカラフルなドリンクを買っていた。黒人の運転手は野太い声で聖書の文句を歌うように叫んでいた。「隣人を汝のごとく愛しなさい」と。僕はピザの切れ端で空腹を少しばかり満たして、何とか浅い眠りについた。

この短い旅のようなものの間に、僕は26歳になった。どのタイミングだったかは正確には思い出せない。とても思い出深いものになるだろうね、とどこかで誰かが言った。確かにそうかもしれない。ハリケーンからの逃避行、僕は異国の地でまた一つ歳を重ねる。悪くない。でもそれは真なんだろうか。僕が本当に逃れたいのは嵐だけだったんだろうか。

今から考えれば予想できたことかもしれないけれど、激しい風雨のせいで僕が住む街へ帰るバスはキャンセルになった。それを知らされたのは真夜中のバスターミナルで、とりあえずは復旧の目処が立つまで待つほかなかった。街までの帰路はまだ200キロもある。夜明けまでここで待ったところで、出口は見つからないかもしれない。

何とかタクシーで市街地に戻り、急遽見つけた安宿(というよりも実質はシェアハウスのようだった)にたどり着いた。玄関の扉を開けた瞬間、目の前には予想外の光景が広がっていた。僕を出迎えたのは、犬や猫、ヤギに、それから豚だった。「いらっしゃい。びっくりしたでしょ。今、うちはハリケーンを逃れてきた動物のシェルターになってるのよ」とオーナーは言った。嵐の真夜中に居場所を必要としているのは僕だけじゃないようだった。

結局、その家にいったい全部で何人いたのかはよくわからない。ほとんどの部屋の灯りは落とされていた。時計の針はもう深夜3時を回っていた。リビングでは何人かがテレビを見ながら談笑していた。こう見えて僕は気象予報士なんだぜ、と男は言った。部屋の真ん中にはなぜかダンスポールが立っていた。出鱈目な世界だ、と僕は呟く。オーナーに案内された2段ベッドの向かい側ではゲイのカップルが親密に愛を囁いていた。頭がうまく働かなかった。それでも寝床を与えられて少し安心したからか、思い出したかのように疲労と睡魔が襲ってきた。

枕元の窓の隙間から冷たい風が忍び込んできた。街灯に照らされた細かい雨がかろうじて見える。少し小降りになっているようだ。ふと、どこかで汽笛のような音がした。でも、勘違いかもしれない。こんな時間に電車が走っているはずがないし、それに何よりハリケーンは直ぐそこまで迫っているのだ。

「辛抱するのよ」ふと、ルームメイトが言っていたことを思い出した。三日前、旅立つ直前のことだった。「実際のところ、何かが起きてみるまでは、どうなるかなんて誰にも分からないんだから」

嵐が過ぎ去るのを待つのが人生じゃない、とどこかで耳にしたけれど、もしかしたら、今はそれを待つべき時なのかもしれない。じっと、雨の中で目を凝らしているべき時なのかもしれない。風の中で耳を研ぎ澄ましているべき時なのかもしれない。

何かが起こるのが、よりはっきりしてくるまで。あるいは、夜霧の向こう側から、汽笛の音が少しずつこちらに近づいてくるまで。