Dancing in the Rain

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Life is not about waiting for the storm to pass but about learning how to dance in the Rain.

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救世主の街と虹の降り注ぐ教会、偶然出会った天使【旅エッセイ/エルサルバドル】

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外を自由に出歩けない街というのは、サンサルバドルが初めてだった。もちろん、危険を顧みずに動き回ることだってできたかもしれない。でも、良くも悪くも僕はもう昔みたいに眩しいくらいの根拠のない自信に満ちた若干20歳の無鉄砲な旅人ではなかったし、それに、(幸いにもと言うべきか)僕の命はもはや僕だけのものじゃなかった。


とはいえ、である。ずっと部屋に閉じこもっていたのでは何のために無理をしてこの国に来たのかわからないじゃないか。確かにエルサルバドル・コーヒーはとびきり美味いけれど、それだけじゃない。ということで、歴史地区のセントロ・ヒストリコまで人目を忍んで歩いてみることにした。

 

1日に10人もの国民がギャングによって殺されているという修羅の国エルサルバドル。サルバドルとは救世主の意味というが何とも皮肉なことだ。ホンジュラスと並んで、手練のバックパッカーですらスキップしてしまうという。首都のサンサルバドルは地区ごとにギャングの縄張りに分かれていて、熾烈な抗争が繰り広げられている。外国人旅行者には手を出すのは御法度と言われているが、実際のところどうだろう。

 

そんな前評判に関わらず、旧市街は和やかな平和な雰囲気だった。広場では楽団の軽快な(そしてどこか間の抜けた)音楽に合わせて、真っ赤なドレスを身に纏った妖麗な老女がズンバだかルンバだかを陽気に踊っていた。仮装したストリート・パフォーマーは投げ銭を忍耐強く待っていたし、通りに並んだ行商は一見ガラクタでしかない代物を目の前のシートに並べて物欲しそうな目で通行人を見ていた。アジア人はおろか、旅行者らしき人の姿はどこにも見当たらない。空は美しく青く澄み、太陽が燦々と差している。少し肩の力が抜ける。

 

サンサルバドル随一の(あるいは唯一の)観光地といえば、虹の教会である。ここに行きたかったがために危険を犯して旧市街まで出てきたと言ってもいい。こじんまりとした教会だが、ステンドグラスから虹色の光が斜めに差し込んでくる。そこには静謐な祈りの時間が流れている。それはいくつもの悲劇を経験してきたこの国の人々の涙と血の重さのように感じられる。

 

教会の中で想いに浸っていると、背後から誰かに声をかけられた。この国にしては珍しく英語だった。山奥の町(名前は忘れてしまった)からやってという小柄な青年だった。縮毛になった長髪と、よく見ると左右で微妙に色が違っている瞳。青年は物珍しそうにいろんな質問を投げかけてくる。どこか怪しげな雰囲気もなくはない。

 

「この国のことをもっと知って欲しいんだ。そうしたらもっと観光客だって来てくれるだろう?そのために僕は力になる」そう言って彼は、まるで僕の個人ガイドみたいに、とても親身になって街を案内してくれた。見に行きたかったモニュメントまで連れて行ってくれたし、途中で人気のアイスクリームまで買ってくれた。その間に僕らはいろんな話をして(今となっては一体どんな話をしていたのかさっぱり思い出せないけれど)すっかり打ち解けた。

 

経験上、こういうのは大抵、最後の最後にチップなり何なりの金銭が要求されるはずだ。でも、最終的にそうなってもそれはそれでもいいかな、と青年は僕に思わせた。けれど、結局彼は、僕に何の見返りも求めることはなかった。記念に写真だけ撮って日が暮れる前には別れた。ずいぶんとあっさりとしたものだった。

 

青年の名前はアンジェロといった。「英語だとエンジェル。スペイン語で「天使」という意味なんだ」と彼は言った。虹の降り注ぐ教会で、偶然出会った天使。その背には一対の翼こそ見えなかったけれど、彼はその名のごとく天使のような慈愛と優しさで、この国の明るい未来を導く光となるかもしれない。少なくとも僕はそう、信じたいと思った。

 

どうか、エルサルバドルに幸あれ。