Dancing in the Rain

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Life is not about waiting for the storm to pass but about learning how to dance in the Rain.

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ペルセポリスのフィジー人【旅エッセイ/イラン】

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シーラーズのホステルに着いたのは早朝だった。さすがにチェックインにはまだ早い。宿には開放的なテラスになったレストランが併設されている。朝食の席には先客がいた。

「息子に勧められてね、1ヶ月間イランを旅することにしたの」とクリスは言った。よく日焼けした健康的な肌。チャドルの代わりに身に纏った黄色いスカーフから白髪を覗かせている。彼女は、「ロンリー・プラネット」一冊を頼りに、オーストラリアから遥々イランに1人やって来たという。話しているうちにすっかり意気投合して、旅は道連れにと二人でバスを乗り継いで古都ペルセポリスまで行くことになった。

クリスのオージー・イングリッシュを途切れ途切れに聞きながら(彼女のayは限りなくayだった)、何とかペルセポリスの遺跡まで辿り着いた。足取り軽やかに彼女は小高い丘を駆け上がっていく。とても60歳とは思えない健脚だった。

トルコのヒエラポリスよりは綺麗だわね、と彼女は言う。うーん、それは同感、と僕は言う。「おいお前ら付き合ってるのかよ」とイラン人の青年が僕に冷やかしで耳打ちして言う。まあそういうことでいいか。何を話したところで、結局分かってくれはしないだろうな。年齢差で言うと親子と言うべきだが。

ここでもとんでもなく人懐っこいイラン人に相変わらず質問攻めに遭うわけだけれど、どうやらクリスの人気は僕以上だった。「どこから来たのか、ってしつこく聞いてくるのよ。でもそこから会話が発展したりすることはないのね。だからいつも適当にフィジーとかツバルとか彼らが聞いたこともないような国を嘯いてるのよ。フィジーからイランに来るなんて、どんな気持ちだろうかね」と言ってクリスは笑った。

でも僕にだってオーストラリアとフィジーの違いなんて分からないかもしれない。ペルシア人の築いた古代の一大文明の遺構から、大洋州に浮かぶ小さな島々の暮らしに想いを馳せる。クリスがどこかのセレブリティみたいに取り囲まれている傍で、僕は飽きることなく歴史の教科書でみたような獅子のレリーフの写真をせっせと撮っていた。

「行きと同じだけれどこの道でいいかしら」ペルセポリスから宿へと帰る道すがら、クリスは僕にそう尋ねた。そこにどんな意図があるのだろうと僕が少し戸惑っているのを見て、彼女は更に言った。「旅人の中にはね、同じ道を通って帰ることを嫌がる人がいるものよ」

確かに言われてみればその気持ちは分かるかもしれない。今までうまく言語化してこれなかったけれど、同じ道を引き返すのは苦手だ。できれば、途中で道を間違えていたことに気がついたとしても、引き返すことなく前に進み続けたいと思う。たとえそれが遠回りになって余計に時間がかかってしまったとしても、最後に目的地に辿り着ければそれでいいんじゃないか。

「次はどこへ行こうかしら、まだあと2週間もあるの」翌朝、テーブルの上に小さな地図を広げながら、クリスはじっと思案している。「イスファハンにでにも行けばいいんじゃないの」と僕は言う。「うーん、でも、クシュ島もいいわね」彼女は僕の連絡先をノートに書き留めながらそう言った。たしかにそれも良い考えかもしれない。でも僕はそろそろドバイへ発たなければいけない。思えば短いけれど濃密なイラン滞在だった。

クリスとはそれっきり会うことはなかったけれど、どうやら無事にクシュ島に行くことができたようだった(そこに一体何があるというのか全く見当もつかないけれど)。その後も何度かメールでやり取りしていて、先日、彼女からまた連絡が来た。今度はフィジーに行こうと思うの、と彼女は書いていた。フィジー。うーん、僕は次はどこへ行こうか。